電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【勝手にしやがれ】
【勝手にしやがれ】
敗戦の虚無感を胸に砂丘に寝転んで夜空を見上げたとき、あの流れ星のひとつすら自分の上に落ちて来ることはなかろうと思えたと書いたのは誰だっただろう。たしか教科書で読んだような気がするのだけれど。
失恋の哀しみを抱いて、大阪から汽車に乗って砂丘に行き、寝転んで夜空を見ていた学生時代があったという友人の話も思い出す。
砂丘に仰向けになって満天の星を眺めるなどという壮大なことの似合わない自分は、心塞ぐと狭い場所に入って丸まりたくなる。そんな時に浮かぶ言葉が「どん詰まり」だ。
高校生になると夜中に目が覚めて寝つかれないことが多くなり、夏の夜などその先のない「どん詰まり」を求めて、海岸まで自転車を走らせた。
最も頻繁に出掛けたどん詰まりが清水市新港町、豊年製油工場のある防波堤で、いま清水エスパルス・ドリームプラザがある場所の対岸だ。夏の夜の防波堤でコンクリートの上に寝転がると、まだ日中の温もりが残っていて、波の音を聞きながら眠るのが心地よかった。三保のどん詰まりの灯台下や、久能道どん詰まりの海岸に寝転んで朝まで眠ったこともある。防波堤や海岸の砂利の上で寝ている高校生というのも異様なものだろうといま思えばおかしい。
勝手にしやがれと地面に身体を投げ出して大の字になる開放系のどん詰まりもあれば、胎児のように丸まって眠る閉鎖系のどん詰まりも青春にはある。そもそも追い詰められた先にある「勝手にしやがれ」が開放系の人間と閉鎖系の人間とがいるのだろう。
(閉鎖した電脳六義園通信所 2002 年 1 月 23 日、20 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)
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僕はもちづき楽器でヤマハのフォークギターを買ってもらい、1万2000円でした。
「これからギターを始めるなら、うちのギター教室に通いませんか」
と聞かれ、怖気付いて断ってしまったのは人生最大の失敗だったかもしれないと、今になって思います。