電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
春よ来い
2017年3月26日
僕の寄り道――春よ来い
3 月 24 日は 9 時から 17 時まで引込開閉器盤(東電とマンションの責任分界点)交換工事で停電となった。パソコンや周辺機器が動かないと仕事にならないので、本でも読んで過ごそうと思い、停電直前に電気ポットでお湯を沸かしておいたのだけれど、考えて見たらポンプも電動なのでお茶が入れられない。
明かりがないと手元が暗いし、暖房も入れられずに薄ら寒い。仕事場にいても暗くて寒くてお茶も入れられないので、ぶらりと散歩に出たら外は日差しがあって暖かい。上富士交差点から都立駒込病院脇を通り、団子坂を下って三崎坂(さんさきざか)を登ると臨済宗全生庵が左手にある。
三崎坂にて
ここには郷里清水に縁が深い山岡鉄舟の墓があり、中曽根康弘など政治家が座禅を組むのでも名高い。そういう寺であるせいか狭い寺内に交番のようなものまである。山岡鉄舟の墓以外に愛国の士を讃える碑も多い。
意外なところで「くつが鳴る」「雀の学校」「千曲川旅情の歌」などの作曲で名高い弘田龍太郎(1892−1952)の墓もあり、墓の脇に譜面を刻んだ碑もあるというので探してみた。なかなか見つからずに苦労したが、ようやく探し出したら予想していた「春よ来い」の譜面ではなく「叱られて」だった。
弘田龍太郎作曲「叱られて」の楽譜碑
上野恩賜公園では住む家をなくした人たちへの炊き出しが行われており、昼を待つたくさんの人々が木陰となっている薄ら寒い広場で、極北のペンギンたちのように足踏みしながら集まっていた。
そういう中から抜け出したように泥まみれの服を着た人が人気のない墓地内を歩いており、トイレを探しているなら入り口近くにあるのにとさりげなく見ていたら、弘田龍太郎近くの墓前で立ち止まり、こうべを垂れ熱心に手をあわせていた。
三崎坂に面した全生庵の桜
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