山モクレン祭り

2017年3月9日
僕の寄り道――山モクレン祭り

郷里静岡県清水の寺にわが家の墓があって実母と義父の骨を納めてある。その寺の護持会から檀家総代を差出人とした封書が届いた。毎年届く活動報告かと思ってしばらく放ってあったのだけれど、仕事が一段落したので開封したら嬉しい便りだった。

「10年前に植えた寺の表山のモクレンが、皆様の日頃の手入れのお蔭でとてもきれいに咲き始めました。そこで花を観ながら檀家の皆様と寺との親睦を深め、寺の活動にご理解を深めて頂く為にこの祭りを企画致しました。いろいろな催し物を用意しましたので一日、ゆっくりお寺で遊ぶつもりでお出かけください。」

2005年3月、羽衣橋から眺める巴川。正面に見える山の麓に寺がある。

観光の目玉もない小さな山寺なのでなんの行事もなかったのだけれど、檀家や近隣住民、そして県立大生の応援を受けて新たな祭りを興したらしい。これから増やしたいというモクレン植樹の寄付も募っているので、当日は墓参りを兼ねて参加してみようかと思っている。

 

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曲がり角のツバキ

2017年3月8日
僕の寄り道――曲がり角のツバキ

藍染川の流れが刻んだ低地にある商店街が好きでよく買い物に出る。行きは坂道を降りていくだけなので楽をしたぶん、帰りは当然上り坂になって息が切れる。わが家から最も近い商店街なのだけれど、腹立たしくも親たちはその坂を嫌って敬遠していた。

住んでいるマンションの住民たちもまた高齢化しており、おそらく坂の上り下りを嫌ってだと思うのだけれど、坂下の商店街で顔見知りに会うことがない。先日はじめて同じマンションの住人に会ったら、少し年上と思われるその女性は、
「理事長がこんなところへいらっしゃるんですか?」
と驚いていた。

「この商店街が好きなんです」
と咄嗟に答えたのは、よりによってどうして上り下りのきつい坂下の商店街などを選んで買い物に来るのかと問われた気がしたからだ。あとで落ち着いて考えたら、妻でなく夫が平日の昼日中、所帯染みた買い物をしている意外さを問われたのだろう。この商店街が好きなんです、では答えが妙だ。

緩やかな勾配を登って自宅に帰る道すがら、角の曲がり角に毎年美しい花を咲かせるツバキがある。今年もまた紅白入り混じった花をたくさんつけていた。坂の上り下りをしての買い物が苦にならないかと問われたら、
「あの坂の途中で毎年咲くツバキが好きなんです」
と答えるかもしれない。


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打つける

2017年3月7日
僕の寄り道――打つける

明治33年生まれが書かれた随筆を読んでいたら「打つける」という言葉が出てきて自分には聞き覚えがない。元々は「打ち付ける」だったのが「うっつける」となって「うつける」となり、さらに「う」が濁って「ゔ」となり、いまでは「ぶつける」や「ぶっつける」が多数派になったらしい。「ぶつける」は使っても「うつける」は知らなかったが、辞書にも載っているしパソコンでも変換されるので、知っている人は知っている言い方なのだろう。

妻に「打つける」という言葉を知っているかと聞いたら知らないと言うので説明したら、「打っつける」なら聞いたことがあるかもしれないという。こういう古くて語源に近い言葉遣いというのは、農村部より都市部出身者、都市部でも偏差値の高い高校出身者に習慣的知識として伝わっているような気がする。地方でも「城下町の商家育ちの秀才」だと古い言葉を知っている確率が高い。複雑系で考えればそういうものだと思う。

打つかるが出てきたのはこんな記述だった。
「昔、学生時代にベルクソンを読んでいた頃、所謂生命の流れが抵抗に打つかる毎に変わった形に固定されて虫となり、魚となり、鳥となり、人となるという詩想に捉われた事があった。」(岡田正弘『忙裡雑筆集』より)

稀勢の里寄贈の提灯がある近所の居酒屋。相撲の「おっつける」も「押し付ける」が変じたものだろう。



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学者と文学

2017年3月6日
僕の寄り道――学者と文学

岡田英弘先生と同じマンション内に住み、住民交流会をきっかけにして親しくおつきあいさせていただくようになった。先生が駒込曙町生まれと知ってまず思い浮かべたのが、やはり駒込曙町に住んでいた寺田寅彦のこと。寺田寅彦についてうかがってみたいと思ったものの、考えてみたら寅彦は 1935 年に没しており、1935 年に先生はまだ 4 歳だった。いかに天童と呼ばれるような人であったにせよ、覚えていることがあったとしたら奇跡というほかない。

そんなわけではあるけれど、岡田先生─駒込曙町─寺田寅彦という連想が心の片隅にいつまでせも引っかかっていたのは、寅彦の書いたものが好きで、未明に目が覚めて寝付かれない時の枕頭の友になっているからだ。寅彦の書いたものにはしばしば駒込が登場する。

入院されている岡田先生を気遣う人たちが集まるというので、ご自宅での飲み会に招待していただき、帰り際に書斎の本棚を拝見していたら、奥様の淳子さんが岡田先生のお父様である薬理学者岡田正弘さんの随筆集を見せてくださった。

目次を見たらなんと寺田寅彦の文字がある。残念ながら言葉を交わす機会は逸したものの寂しげに歩く姿はしばしば見かけたことがあり、家が近所で女中同士が仲良しだったという。夢中でページをめくっていたら
「持って行っていいわよ」
と奥様がいうのでお借りしてきた。

読み始めたら文章に寺田寅彦と通じるものがあり、寺田寅彦の書く随筆が出るたびに買って愛読されていたらしい。本をお借りしながら
「学者でありながら文学者としても一流の文章を書く人が好きなんです」
と岡田夫人に申し上げたけれど、岡田正弘さんもまたそういう方だったようで、随筆を読んでいると寺田寅彦以外に、森鴎外やアンリ=ルイ・ベルクソンの名も出てくる。やはりそういうタイプの人を愛読されていたらしい。フランスの哲学者ベルクソンもまた名文家として名高くノーベル文学賞を受賞している。

岡田正弘『忙裡雑筆集』を読み始めたのでここまでの経緯メモ。

・岡田英弘[1931年(昭和6年)─ ]
・岡田正弘[1900年(明治33)─1993年(平成5年)]
・寺田寅彦[1878年(明治11年)─1935年(昭和10年)]
・森鴎外[1862年(文久2年)─1922年(大正11年)]
・アンリ=ルイ・ベルクソン[1859年(安政6年)─1941年(昭和16年)]


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ムンフツェツェグ

2017年3月5日
僕の寄り道――ムンフツェツェグ

3 月 5 日は目白のミネルヴァホールまで NPO 法人語り手たちの会 基礎講座 2016(語りの育成事業)終了お話発表会を聴きに行った。郷里清水から通っていた友人の講座受講終了記念公演であり、清水弁による「蟹のしょうばい」(新美南吉)を話されるという。一番手なので遅刻しないよう早めに行った。

話し手となって舞台に立つのはおおよそ自分と同じ年頃の女性たちばかり。いかにも朗読調の話し方をする人、まるで男性講釈師のような話し方をする人、そして表情も抑揚も少なく囲炉裏端で淡々と話すような語り口の人がいて、それぞれに個性的で面白かった。

語り伝えというのは技術ではなく、語りたい、伝えたい想いの表出が聴く人の胸に届くのだなぁという気がし、上手い下手という評価基準はそもそもなさそうに思う。舞台に立って語っている最中はずっと生きいき輝いていた人が、舞台を降りた途端くすんだ中年女性に戻ってしまうこともまた味わい深い。

目白にて

18時から同じマンション内に住む学者夫婦である岡田先生宅での飲み会に誘われたので大塚で買い物をして帰宅した。かつて岡田先生の主治医だった方の奥さん、そしてモンゴル人学者夫婦が来られていた。モンゴル人のご主人は数学者。東京外語大でモンゴル語を教えていた奥さんの名はムンフ。ムンフツェツェグはモンゴル語で永遠の花、エーデルワイスのことでモンゴルに多い名前らしい。

男性二人、女性五人のホームパーティだったが、年を聞いてみたら全員が年子のような階段状になって笑った。要するにおじさんおばさんの飲み会であり、きょうは一日たくさんの人の話を聴いてたくさん話した。


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アヲハタの朝

2017年3月4日
僕の寄り道――アヲハタの朝

子どものころ聞かされたお話しでは、青鬼には赤鬼、黒ヤギには白ヤギというように、いつも対(つい)になるものが存在した。そのせいかどうかは知らないけれど、対になるものがあると安心する、対になるものがないと不安でいたたまれない子どももいるだろう。自分はそうだった。

甘くて嬉しいアヲハタのマークを見ると、子どものころはアカハタもあるに違いないと思っていた。さすがに新聞「赤旗」を知ってから、それはあり得ないだろうと思い直したけれど、そういう性分がつくりあげた記憶違いただったのかもしれない。

アヲハタのマークは、大正のはじめ頃、キユーピーマヨネーズ創業者である中島董一郎がイギリス滞在中よく見たケンブリッジ大学とオックスフォード大学のボートレース、その両校校旗の青が印象的でブランドにしたのだという。

ヨーグルトが苦手な妻に食べさせるため、アヲハタのジャムを買っている。アヲハタのマークを見てアカハタを思い浮かべることはもうないけれど、プレザーブスタイルのイチゴをスプーンにのせるたびにちょっとだけ赤い三角の旗がたなびく長堤を連想する。

ついでながら、学生時代に頼まれたバイトで早慶レガッタの B 全サイズポスターをデザインし、自分でシルクスクリーン印刷してつくったことがある。そんなわけで春になると隅田川とボートレースとアヲハタを思い出す。


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猫のいる寺

2017年3月3日
僕の寄り道――猫のいる寺

学生時代から大好きな近所にある寺。昼休みに散歩するコースの一つになっているけれど、境内には庭師さんと猫が一匹いるかいないかという程度に、いつも静かな真言宗豊山派の古刹である。

寺というのは自分とは何か、時間とは何か、世界とは何かについて考えるのにふさわしいところなので、しっかり維持管理して清潔さと静けさを保っていることこそ良い寺の条件だと思う。そういう意味でずっと大好きな寺であり続けている。

昼休みだと庭師さんも休憩に入られて人の姿はなく、日当たりのよい本堂前で猫が一匹昼寝をしていたりする。猫もまた清潔で静かな寺が好きなのだろうかと思いながら本堂脇を見たら、猫の食器らしきものが洗って積み重ねられていた。

わがマンションでも野良猫への餌やりが問題になっている。餌やりをしたい気持ちは十分わかるけれど、やればやりっぱなし、不潔にしているから苦情が出るのだ。清潔で静かな餌やりもあるだろう。

出された食事についてくる沢庵漬けはひとひら食べずにとっておき、食器に湯をもらい沢庵を使ってきれいに洗い、お湯ごと沢庵も残さずいただき、きれいになった食器を棚に戻す。さすが寺の猫は躾(しつけ)が行き届いているなぁ……と思われるような行儀良い餌やりをしているから、檀家からも苦情が出ないのだろう。

感心して眺めていたらこの寺にはひと足早くもう春が来ている。


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七分の同感と三分の滑稽味

2017年3月2日
僕の寄り道――七分の同感と三分の滑稽味

与謝野鉄幹の「人を恋うる歌」を教えられたのは何歳ころだったろうかか。最初は意味もわからず丸覚えした記憶があるので幼い頃だろう。聞かされた通り歌いながら覚えたつもりなのに、いまオリジナルを引いてみると細部がちょっと違っている。

「妻をめとらば才たけてみめ美わしく情けある」の最後は「情けあり」と覚え癖がついてしまっている。そして「友をえらばば書を読みて六分の侠気四分の熱」の六分は「りくぶ」という読み癖がついてしまっている。たぶんそう教えてくれた人がいたのだろう。

六分を「りくぶ」と読む癖がついていたおかげか、六義園脇に引っ越してくる以前から「りくぎえん」の読みに違和感はなかった。はたして「ろくぶ」という読みが正しく「りくぶ」は間違いなんだろうかと今も思う。

《六分の侠気四分の熱》にしても、強きに屈せず弱きを助け正義を行う《侠気》が六分で《情熱》が四分という配分比率がぴんとこない。言いたいことが明瞭にならない。《侠気》はそもそも《情熱》を含むものなのではないか、《侠気》六に《情熱》四を足しても、とうてい十に満たないのではないかと思うのだ。

本郷通り舗道脇で息苦しく共存する街路樹と住民が植えた樹木の同感と滑稽味

郷里の俳句仲間だけでなく漱石先生の俳句にも遠慮なく《○》や《圏点》を書き入れ《批評》を加えてしまう親分肌の子規らしい個性に対して、松山時代の漱石は同じ屋根の下で暮らしながら、「七分の同感と三分の滑稽味」をもって接していたのではないかと本にあった。

漱石自身がそう述懐したわけではなく、高浜虚子にはそう見えたという話なのだけれど、多少の配分に違いはあるにせよ、虚子が漱石を見る目もまた「七分の同感と三分の滑稽味」に近いものを感じる。「七分の同感と三分の滑稽味」というのは穏やかな信義にもとづくいた長い人付き合いにとって、非常に良い配分比率なのではないかと思う。

仲が良くて長く添い遂げている夫婦の顔を思い浮かべると、互いをそんな割合で見つめあっているように思われる。良い友人もまたそうであるような気がし、終生の《友をえらばば》《七分の同感と三分の滑稽味》程度を心がけて理解しあいたいものだと思う。


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清水8時50分着

2017年2月28日
僕の寄り道――清水8時50分着

編集委員をしている雑誌『季刊清水』の本年度第0回編集会議、別名反省会があったので清水に日帰り帰省した。特集「清水と宗教の関わりを探る」の巻頭で全体を牽引していただいた舞鶴高専教授吉永進一先生を囲んでのランチパーティ形式となった。

いつも通り早起きし、小田原まで小田急を使って帰省した。通勤だけでなく通学客もいる東海道線に乗り越え、朝日に映える海を見ているとあれこれ湧き起こる感慨がある。一緒に海を見ていた児童にも児童なりの感慨があるのだろう。

小田原駅を出て根府川あたりを通過中

●駒込

|  5:20発
|    JR山手線(内回り)[池袋方面行]17分
|  5:37着
○新宿
|  5:46発
|    小田急小田原線(急行)[小田原行]1時間27分
|  7:13着
○小田原
|  7:18発
|    JR東海道本線(普通)[沼津行]47分
|  8:05着
○沼津
|  8:08発
|    JR東海道本線(普通)[浜松行]42分
|  8:50着
■清水(静岡)

 

エスパルス通りの床屋さんに教えてもらった、意外にウッディな桜橋橋梁裏

8時50分に清水駅に着き、改札を出たら桜橋「櫻珈琲」の神戸秀雄氏が迎えにきてくれていたので喜んで拉致され、「櫻珈琲」店舗裏の談話室で正午近くまでビールを飲みながら歓談した。あれこれ前年度のできごとをまとめ、明日から始まる新年度に向けて心のネジを巻いた。

 

桜橋駅ホーム

昭和六年竣工の桜橋橋梁下がたしかに板張りであるのを確認し、桜橋駅から静岡鉄道に乗って新静岡まで出た。

 

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