三月の空気感

2017年3月17日
僕の寄り道――三月の空気感

 

空気感にはたくさんのものが含まれている。言葉で表現しがたいそれは身体全体で感じるものなので、空気感によって思い起こすあの日あの時には、まるごとその世界に全身を置いたような迫真の臨場感がある。芸術について言及するときに用いられる「空気感」などという曖昧な表現ではなく、身体が感じる空気感とは生物を取り巻く物理化学的な環境の感じ方なのだと思う。

 外に出たら不安になるほどぼんやりと暖かく「ああ 2011 年の 3 月もこうだったな」と思う。あの日も赤坂で仕事があってこうして出かけたのだった。高橋是清翁記念公園のベンチに腰掛けていたら地面がゆさゆさと揺れ、是清像もベンチも木々も自分も、公園ごと春の空の下で激しく揺り動かされていたのだった。

 

本郷通りには交通機関による帰宅が困難になった人々が深夜になっても途切れることなく行列し、黙々と歩いて都心を脱出していった。この通りにそういうことがあったことも、さまざまな物理化学的情報を含んだ空気感によって、あの日あの時に連れ戻されたように思い浮かぶ。空気感による生態学的な捉え方の方法を実体験する三月である。


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