湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

6/16 神経眼科の手術が終わり/あすなろ会総会決まる/明日からの予定

2010-06-22 05:57:10 | 引きこもり
2010/06/16 記
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父は3泊4日で老健にショートステイしている。その2日目、父がリハビリを受けることを拒否していて、このままでは困るから来てくれと老健からの電話で言われて、何とか拒否して電話を切った。母の手術の翌日というのに、父の様子見に老健に出かけていったら、ショートステイを頼んだ意味が無いからだった。

母の手術は無事終わった。眼科の日帰り手術は呆気ないものだった。美容整形ではポピュラーな治療のボトックスというリフトアップ治療を行った。美容整形と違うところは、効果を治療に転用するところにある。眼瞼痙攣の対症療法だ。ボツリヌス菌の毒素を抽出し、筋弛緩剤として眼の周囲にその希釈液を注射する。効果は10日から数週間後効果が出てくるという。しかしその効果も数ヶ月で消えていくので、リフトアップの対症療法効果を見極めて、リフトアップ形成手術へと持って行く。

さらに母には、瞼裏の油脂の結腫があり、眼の違和感にまで影響の出たものを取り去る手術をした。昨日は雑菌感染保護の眼帯をしていたが、化膿止めの点眼薬を点すだけで、眼帯も今日は取れてしまった。手術そのものは呆気なかったのだが、母は帰りの途中、眼が刺されるように痛いと、あちこちで立ち止まり、それでも何とか予約していた中華街で遅まきの昼食を取って家に戻っていた。

夜間が問題だった。母はベッド上をごろごろと身の置き所が無いように転がっては、冷えた濡れタオルを要求した。このタオルから感染してはいけないので、ラップ巻きのタオルを当てさせた。結局は母は一晩眠れなかった。ここに父がいたらどうなっていただろうと考えると背筋が寒くなった。

朝、母に顔を見て驚いた。眼の周りがあちこちで内出血を起こして青くなっていた。このことは、「アレルギー体質の人や、血管がもろい人などに出るが、数日で治るから大丈夫」と事前に知らされていたので慌てはしなかったが、父を普段より一日長い3泊4日にしたのは正解だったと思う。

痛みのために母は食欲を無くしていた。母は「食べなくても死なない」説を唱え始めた。これが始まると言う事を聞かなくなる。すでに体重を15kg減らし、身長を5cm強縮めているというのに。胃切除すれば食欲も落ちる、だからそういうことをいうのだろうと判断し、作戦を立て、昼は「素麺」、夜は母のいきつけの二ッ谷で和定食を食べさせた。母の顔は涙袋が膨れ上がり、暴行を受けたかのような表情だった。外出を嫌がるのも無理ないのだが。

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今日は、以前入所希望申請を出したところに、介護度が3から4になったため、介護度認定書のコピーを提出せよとした施設2箇所を回り、窮状を訴えてきた。父のいない貴重な明日は、生業の巡回の複数の予定を組んでいる。途中、一箇所平塚の老健にも向かう。父のショートステイ最終日18日が、北里東病院で神経内科の検査を受けるから、この日の巡回はつぶれてしまうからだ。

母の浮遊したような足元、目の奥の激しい痛み、極端な肩こりは、この引き伸ばされた検査期間、無神経に放置されたままだ。一切の家事炊事は私が行うことになっている。時間との戦いの様相を帯びてきた。ガス抜きが持続の鍵。どうやって?手がかりと可能性は低いがまずは仮眠に限るのだ。胃が痛い。まずいなと思いつつ。


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湘南あすなろ会の定例会があった。代表がTさんからEさんに移る。ビッグイシューの販売IDカードとゼッケンなどを回収し、Tさんが抱えているバックナンバー10冊を買い戻した。会の総会をやるという。代表が代わり、会則について、正会員のきちんとした定義のしなおしがあるから、総会は秋口にまわさずに7月にやることになった。7月、夏期講習が始まる。6月30日が母の神経内科の診断が出る。治療となれば、7月上旬が動けなくなる。7月下旬は夏期講習。決算が間に合うか、胃が痛くなる。総会は7月8日と決まった。

7/15の就労支援の上映懇談会のチラシが出来る。配布準備完了。

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明日は11時から平塚奥地の入所相談から始まる。朝のゴミ出しが睡眠時間を分断していく。仮眠3時間。ここ数日、日程をかき回されている。まずい。もう夜が明けている。今回はここまで。


夜間傾聴:□□君(仮名)


(校正2回目済み)

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6/15 神奈川全県パトロール会議から/母の眼科手術当日、父は尻餅禅問答をしていた

2010-06-22 04:18:57 | 引きこもり
2010/06/15 記
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野宿者支援関係者の神奈川・全県パトロール会議が6/13茅ヶ崎カトリック教会を会場に行われて、湘南あすなろ会から、当事者Tさんと私、会員だが「きずな」としてのMさんが参加した。

長い活動の歴史を持っている団体が作り出してきた活動なので、スタイルが決まっている印象を受けた。話は日常活動報告である。大きなところでは、寿連絡会や寿日労の横浜・寿町の関連団体が参加している。

各地域の状況報告が語られたが、非公開の部分も見分けがつかないので書くことが出来ないが、パトロールは、地域の野宿者の実態把握と生活支援(炊き出し・生活保護・住環境仲介・健康管理等)を行うのだが、その巡回報告が既にわかっている方たちの近況報告になっていて、防砂林などの野宿者の定住性の高さを感じさせられた。ブルーシート・ホームの分布と件数は、もう十数年前になるが、自然観察会の関係で林にのぞきに入ったときに見つけたホーム数と先日防砂林パトロールにお邪魔したときの印象は、ずれが少ないのに、茅ヶ崎・藤沢、百のカウントは意外な密度と感じさせられた。

寿町のイベントで、

●交流学習会「私の出会った寿の子どもたち」
  講師:のりたまさん
 7月19日(月・休)14時~ 寿生活館4F

が紹介された。しかし全般は、日常活動の状況確認が大半のために、大都市部で起きている野宿者層の変化、従来の中高年層に、若年層がインターネットカフェ住民と重なる形で非定住通過型難民が登場していることへの関心は薄かった。

むしろ生死に関わる問題、生活保護をもらって住む家が決まった高齢野宿者がパトロールの目から抜け落ちて孤独死したり、精神障がいを発症したりする孤立化をどうしたらいいのかという問題が、繰り返し報告の端々に話されていた。

基本情報カードのたたき台は19時近くになって、カレーライスの炊き出しが出たが、おいしさよりもまずその量の多さにおどろいた。糖尿病なので事前にライスの量を減らしてもらうべきだった。配膳係の方に謝って、残った皿を返した。私が声をかけたとき、おかわりは沢山あるよと先に話されたのには、ショックが。カレーだけ、美味しくいただいた。

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母の手術の日、父は老健に3泊4日のショートステイすることになっていた。5時ごろ、父がベッドから尻餅をつくように落下した。父はベッド下であぐらをかいて座り込んでいた。このあぐらの状態から片手の腕の力で家具にしがみつき、身体を家具の重さに頼って引き上げようとする。腕力のある間はこの方法で、家具を引き倒したり、椅子を巴投げしたりした。ベッド柵にしがみつき、力尽きて仰向けにひっくり返り、椅子に頭をぶつけて擦り傷を作ったりしていた。力ずくで何とか起き上がることもあった。ところが寝たきりの生活が腕の力も萎えさせた。あぐらを崩さず、片手で前に引き上げることにこだわる限り、その方法は脚の力の応援を使わないから立てないのだ。

ベッドから座位に移るとき、横臥姿勢から身体を螺旋状にねじって座位に持っていく。この身体をねじり開店しながら姿勢を変える方法がある。この動きを生理的曲線と呼ぶのだが、身体をより楽に立たせる方法も、この生理的曲線に身体を移していく。身体を起こすとき、両手を片側の体側に寄せ、両手で床を突くと、身体は上半身をねじった状態となり、そのねじれを腰から尻、そして下半身に追わせて、立てひざに持ち込む。これが起き上がりの鍵になる。幼児の立ち上がり方を真似するといい。

この立ち上がり方を私がやって見せ、一緒にやろうと促しても、あぐらの姿勢からぴくりとも変更しない。やがて周辺のティッシュペーパーの箱をサイドテーブルの棚に入れ直ししたりと、立ち上がり場面の忌避行動が出始めてしまう。

父は箱型歩行器も身体をその中に入れない。そして遠くから歩行器の前のバーにつかまろうとし、折りたたみ部分なので危ないと直されては、誘導者の手を払いのけて自分のやり方を通し、放置すれば歩行器の外側から片手で杖のように歩行器を使おうとして投げ出してしまう。そして転倒。

この自分のやり方への固執は、説明がわからないのかとも思ったが、どうやら説明自身を拒否しているように思う。手の位置を変えようと触ると、猛烈な勢いで払いのけられる。この固執が介護を徹底的に困難なものにしている。

今朝、父は立ち上がるまでに1時間半かかった。つまり尿が漏れ出し、床に流れ、どうしようもなくなって、尿を避けようと横臥したことから、生理的曲線を追うように、立ち膝に誘導し、尻が上り、また従来の腕の力で立つことができた。やり方を決して変えない。腕で家具に頼って身を引き上げるのだ。

8時には食事にしないと、間に合わない。父は1時間半の睡眠で朝食となり、不機嫌丸出しの状態で、階段を降りるのを腰砕けて、階段の壁に体当たりしながら、落下寸前の危険な姿勢で、9時ホームの車椅子に乗って出て行った。

父はベッドから落ちると立てなくなっていた。あぐらをかいて、私が発見するのを待っているのだった。一日何回も父は尻餅をつくようになっていた。その都度1時間は父に付き合わなくてはならない。持ち上げれば、水袋のように身体を介助者に「身を任せ」てしまう。73kgの尿まみれの赤ん坊を思えばいい。必ず介助者は腰をやられてしまう。尿だらけにされてしまう。

だからポータブルトイレにこだわりベッド下に落ちる父の行動が、一日数回あれば数時間父と禅問答を演じさせられる。あらゆる予定を中断して、この禅問答を演じさせられるとしたら、家事とともに家に束縛されてしまう。

この騒ぎを堪えて傍らで見ていた母は、嗚咽と思いきや、胃切除後遺症のダンピング、逆流嘔吐を始めてしまった。母にはトイレに移動し自分で処理してくれと頼んだ。そんな母を父はぼんやりした目でながめ、あぐらを崩さないのだ。

床に寝かせるかと母と話していた冗談が、現実味を帯びてきた。

私の夜間傾聴も、父がもし、5時前に落ちたとしたら、続けていけなくなる。尻餅のために際どい傾聴も中断を余儀なくされるのだろうか。二年前には死が傍らに寄り添っていた青年がいた。判断を間違うこともありえよう。思い憂鬱の中、母は眼科手術当日を迎えていた。

夜間傾聴:中央林間君(仮名)


(校正1回目済み)

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