湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

6/10 アニマルセラピーを行っている老健に入所希望相談しに出かけ/融通の効かない営業マンと

2010-06-15 11:19:24 | 引きこもり
2010/06/10 記
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今日は10時から入所相談を受けに、藤沢を回った。湘南ライフタウンの外れの老健に出向いた。ここは以前から手堅い活動をしているところで、私の塾があったところの知人からも噂が入っていた。

バスがとにかく無い。頻繁に通る路線の停留所から歩くことにした。30分近く早く着いてしまったので、朝食を食べることにした。大概の飲食店は10時開店だから9時半は悩ましい時間だった。偶然,トラッカー相手のラーメン店を発見し、具の少ないラーメンを食べて時間調整。そこに母から連絡が入った。介護保険証を置き忘れているとの内容だった。

昨日郵送で介護保険証が送られてきた。介護度は3から4に変更となっていた。驚いた。定型会話をはぎれよくこなしていた父の様子が家族の肝を冷やしていただけに、やっと思いが通ったと話し合っていた。さっそく証書をケアマネさんに届け、ケアマネさんが我が家に戻してくれた証書だった。母には今回の入所相談には必要ないから大丈夫だと話して携帯を切った。

今回の老健は、藤沢北部の他の老健と比べれば、小田急線で回り込まない分、家族が通うには近いこと、比較的他の老健よりも内部情報が入りやすいことが選択肢となった。藤沢南部の老健は近々申込に行くが、やはり高谷は不便だ。

今回の場所は、事前に一度、申請書類を受け取りに行ってきたところだ。動物的な感覚だが、新しいところとは違い、いわゆる居場所にいるタイプの職員さんを何人も見かける。相談員のTさんもそのひとりだ。Tさんの私への働きかけも、ケースを前提にして探ってくる。それが見えるから話が早い。介護する家族の体制が崩れてサポートが困難になり、至急入所先を探さなければならない状況。当事者(父)が認知症があり、職員の指示がなかなか守られないことと、歩行不安定による転倒が頻繁に起き、見守りができる施設でないと事故が起こりやすく、入所順待ちの受け入れ施設が限られていること。こうした大筋が的確に通じていくのだった。これはレッテル貼りとの境目の会話。その境界線を見極めながら話を修正していく。

こういう対話は、受け入れが可能か否かがその場で出てくる。受け入れ側が見極めたいと思っている情報が、一応提供されるためだ。結果はNo。理由は認知症男性の受け入れ状態が手薄。不安定徘徊が問題化されていた。一応見学させてほしいと頼み、認知症対応のフロアへ。

なるほどと思った。体調の優れない方が数名部屋に残っているが、静かに眠っておられたし、合流スペースでは、全員車椅子に座ってそれぞれの居眠りや、折り紙などをされているが男性の姿が無い。TVは消えており、だれもTVに執着していない。関心が無い感じ。当事者さん相互の会話は、もともと考えていない程度の方が、ばらばらの方向を向いて時を過ごしている。つまり認知症もかなり進行している、静かな女性が集められている感じで、活気のある笑い声もない。明るいが静かなのだ。これでは、ゴジラ登場になってしまう。

次につかまり歩きが出来ない空間構造になっている。車椅子に乗せられた父が次に起こすアクションは、赤子のそれのように、腕を両脇につけて前に差し出す歩行をはじめ、悪い側の足を引き出す限界の4歩目で転倒する。または、立ち損ねて後ろ向きに転倒、車椅子に背中・後頭部をぶつける。つまり、車椅子生活を基本に置き、集中管理する方式は、父には合わないのだ。寝ずとも基本がベッド。だから他の施設でも、集合スペースの壁側の長いすにいつも横たわっている。ベッドを集合スペースに移してきたような形となる。車椅子とベッドの違いは、居場所感覚の有無だ。若いときからハリセンボンのように棘を出して虚勢を張ってきた父の人間観はひとを深いところで信じていないから、車椅子のように他者の関わりでたちどころに動く位置は、不安だと思う。リクリエーションの不参加の閉じた心のこともあるが、基本は父は安定したポジションから離れない。

見学して、これは確かに馴染まないと思った。しかし某特養のように、せん妄があったり、続々とO字型回廊を歩いている方々の認知症フロアに父が入るにしては、定型会話が可能なレベルの父には、これまたマッチングしないのだ。

ため息が出た。相談員のTさんに了解サインを出して玄関へ。と壁に「アニマルセラピー」の写真が。もうここからは脱線である。

この老健ではアニマルセラピーが導入されていた。従順にするよう仕付けられた犬猫や兎などを使って、彼らを触らせたり抱かせたりすると、心が開き、動物に語りかけたり、世話をしようとする。それがきっかけで職員や入所者どうしに会話が生まれたりする。人は関わり響きあうことによって自分を生み出していく社会的存在なのだということが如実にわかる実践なのだ。勿論動物嫌いの方を無理強いしてはいけない。

若手の引きこもり関連では、犬の散歩が取り上げられたり、飼育が昔から試みられている。犬の散歩は、昼夜逆転の生活リスムを直したり、犬に必要とされる有用感が挫折感を回復させたり、更には散歩が出合った隣人との垣根を取り去ったりと、対人関係の仲介役を動物が果たしてくれる。ペットは善きパートナー足りうるからだ。勿論吠え付いたり、跳びかかる犬猫等もいる。それは訓練されたり選ばれたりした、安定したペット達が引き出す効果であることは、いうまでもない。

ペットセラピーのために、この老健を訪問しているボラさん(?)は何というNPOなのかと質問したら大事になった。相談員さん自身が関係しているのではなく担当者が別にいらしたからだ。

相談員さんは、その担当職員さんを探してくださった。しばらくしてその担当者の方が、インターネットの画面コピーを持って私に説明してくれた。結局は私の期待していた近隣、日大農獣医学部の学生さんのボラさんたちなどは、登場しなかった。こちらは以前、アイ・ボランティアのサークルと出会っていたので、もしやと思ったのだが、世の中、そう単純ではないのだった。

話は本部派遣で、派遣されてくるグループは、横浜から来ているようだとの話で、直接情報はつかんでいないようだった。犬猫派遣業も、私の探っていた引きこもり青年の地域起業業種のひとつだった。この仕事の関係者に様子を教えてもらいたかった。しかしダイレクトに行けば、開業すると勘違いされ、構想作りと語ると閉じてしまうこともしばしばだったので、以前、クイールを育てた港北の盲導犬訓練所にお邪魔して、そこから次のセラピー犬関係に飛べないか試みたことがあった。ここは見学企画を時々たてて招待してくれるので、私のように探りの中途半端な立場の者も容認されたからだった。残念なことに、当時はつながっていないなかった。

画面コピーの資料をいただき、近隣老健の名簿をいただいて施設を出た。空振りである。

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14時半には父が帰って来る。大急ぎでバス停にもどり、辻堂駅から辻堂図書館の書籍交換を済ませ、父の好物の太巻寿司を買い込んで、家にもどった。30分前、セーフである。

この日、私は夏期講習テキストの改訂版を入稿する作業でトラぶっていた。原稿は添付メールでコメント付きで送り出しているのだ。ところがその一部分で相談があるから神田まで出て来いとの話が来ていたのだった。印鑑がいるというわけでもない、上司に原稿を渡すときに質問されるのが嫌なために、私を上司に会わせようとする魂胆だった。たかが5分そこそこと事務的な話に、自費の交通費で来いとは何事ぞと、うるさい電話を払っていた。そこの社の出版ではなく、本校で使う非売品。結局電話が来なくなった。と思ったら、本校から電話が入った。校正しないなら、受け入れられないと社から連絡があったという。十数年つきあってきた話が新入社員の逃げ腰でつぶされるのかと本校に事情を説明。しばらくして上司から直接電話が来た。単純な話なのでまとまったが、こういうわからんちんに振り回されるのは沢山なのだ。かならず規則だからと、錦の御旗を振り回す。ろくでもない。

5回も6回も電話で話が中断される。帰宅直後、父の男性器に樋をあてがって、排尿補助をしている途中にもかかってきた。梅雨前の雨どい清掃の電話もパンフレットを入れたから読んでもらえたかとしつこい電話。手間取らせないからとバスの時間がくるのに私を捕まえようとした。客の状態観察が出来ないセールスは向いていないから転業しろと伝えてバスに飛び乗った。この機転という部分、自閉症スペクトラムの青年たちも苦手だが、職業研修を受けていない者の対応はプロの自覚不足である。これは承諾しない。

私は橋本・海老名の2ヶ所の巡回を済ませ、海老名で買い物を済ませて、明日のスペアちがさき総会配布用のチラシ原案をサポセンで仕上げて、タクシーで帰宅。母が医者に出かける父が単独になる時間をなんとか埋め合わせして、夕食と洗濯に飛び込んだ。

さすがに夜間傾聴は無理。休ませてもらった。


夜間傾聴:臨時休業

(校正1回目済み)
コメント
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