2018/09/29 記
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案の定、午前10時からの「沈黙」上映実行委に遅刻。午前中企画は昼夜逆転の私には地獄。道が混んでいたこともあって、11時をまわっていた。メンバーを見て思う。若い子はいない。どこかで見たことがあるメンバーばかりだ。
私は監督の寿南さんとは、私が学生の頃出会い、娘さんはまだ幼稚園児の頃の古い知り合いだ。娘さんは眼差しにしっかり当時の面影が残っているが、会議に同席してみると不思議な感覚に襲われる。FBが生んだ奇跡の再会だった。遠くまで来たのだなあと思うと同時に、波打ち際の砂文字を覚悟して書き続けている胸の内を伝えられぬ恥のような感覚と、ここにいる人たちが「過去にいた人々」に見える「社会活動のリアル」を巡る差異を感じていた。迷惑かもしれないが、実行委には友情支援で、首を突っ込ませてもらっている。
私は幼児期の大病の結果、己の死滅という命の有限さを悟ってから、世代の群に流れて生きることが出来なくなった。立ち止まる路肩から社会が見えた。そして自ら手探りしなければ、居場所すら得られない集団のにこやかな暴力性に対し、凍りつくような通じない言葉の存在を自覚した。
「無理解と差別」の存在を自覚して生きること。これは自らの課題であるが、同じ道を歩む他者はいても、共に理で分かち合う術がない現実。蟻を踏み潰すのはやめてくれと言っても、何だこいつとしか伝わらない現実に、ドンキホーテのように向かい合って生きるというスタンスゆえに、政治の体験もお仕着せの衣のような着心地の悪さを感じ、だからここも自分の巣ではないと思っている。
大きな時代をくぐり抜けた戦友は希少価値なのだろうと思うと同時に、会ってどうするという諦めもありつつ、そこにすら接触のない乾いた現実を噛みしめる。粛々と時は経った。
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台風24号が近づいている。家の片付けを放置してどこへ行ったと、母はむくれている。電話とメールでつながっていた友人が、「静かに余生を」と連絡を絶ってしまう。そういう者からもろく亡くなる。若者の真似はもういいという判断の愚かさへの苛立ちと、喪失の孤独を口にしていた。私のいないとき、母が思う存分世間話をしていた友人が特養に入り、すぐに連絡が途絶え、半年後、亡くなったことを、昨日から繰り返し愚痴っていた。歩けなくなってベッド生活になったら、携帯は外とつながる大事な道具だと言っているのに、なぜ無視して人を断つと、怒っていた。
いや、茅ヶ崎サポセンと平塚に行ってきたのだよと、説明する私の言葉にかぶせて、このボロ家(我が家)大丈夫かねえと母は愚痴った。
互いに厚切りの甘鮭をかじりつつ、力尽き対話をやめた。
夜間傾聴: ひとり
(校正2回目済み)
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案の定、午前10時からの「沈黙」上映実行委に遅刻。午前中企画は昼夜逆転の私には地獄。道が混んでいたこともあって、11時をまわっていた。メンバーを見て思う。若い子はいない。どこかで見たことがあるメンバーばかりだ。
私は監督の寿南さんとは、私が学生の頃出会い、娘さんはまだ幼稚園児の頃の古い知り合いだ。娘さんは眼差しにしっかり当時の面影が残っているが、会議に同席してみると不思議な感覚に襲われる。FBが生んだ奇跡の再会だった。遠くまで来たのだなあと思うと同時に、波打ち際の砂文字を覚悟して書き続けている胸の内を伝えられぬ恥のような感覚と、ここにいる人たちが「過去にいた人々」に見える「社会活動のリアル」を巡る差異を感じていた。迷惑かもしれないが、実行委には友情支援で、首を突っ込ませてもらっている。
私は幼児期の大病の結果、己の死滅という命の有限さを悟ってから、世代の群に流れて生きることが出来なくなった。立ち止まる路肩から社会が見えた。そして自ら手探りしなければ、居場所すら得られない集団のにこやかな暴力性に対し、凍りつくような通じない言葉の存在を自覚した。
「無理解と差別」の存在を自覚して生きること。これは自らの課題であるが、同じ道を歩む他者はいても、共に理で分かち合う術がない現実。蟻を踏み潰すのはやめてくれと言っても、何だこいつとしか伝わらない現実に、ドンキホーテのように向かい合って生きるというスタンスゆえに、政治の体験もお仕着せの衣のような着心地の悪さを感じ、だからここも自分の巣ではないと思っている。
大きな時代をくぐり抜けた戦友は希少価値なのだろうと思うと同時に、会ってどうするという諦めもありつつ、そこにすら接触のない乾いた現実を噛みしめる。粛々と時は経った。
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台風24号が近づいている。家の片付けを放置してどこへ行ったと、母はむくれている。電話とメールでつながっていた友人が、「静かに余生を」と連絡を絶ってしまう。そういう者からもろく亡くなる。若者の真似はもういいという判断の愚かさへの苛立ちと、喪失の孤独を口にしていた。私のいないとき、母が思う存分世間話をしていた友人が特養に入り、すぐに連絡が途絶え、半年後、亡くなったことを、昨日から繰り返し愚痴っていた。歩けなくなってベッド生活になったら、携帯は外とつながる大事な道具だと言っているのに、なぜ無視して人を断つと、怒っていた。
いや、茅ヶ崎サポセンと平塚に行ってきたのだよと、説明する私の言葉にかぶせて、このボロ家(我が家)大丈夫かねえと母は愚痴った。
互いに厚切りの甘鮭をかじりつつ、力尽き対話をやめた。
夜間傾聴: ひとり
(校正2回目済み)
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