湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

10/31 悲しい出来事<えーい、塩まくべきか/県支援チームから講師が来ることに

2012-11-01 05:42:24 | 引きこもり
2012/10/31 記
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母が東京のお稽古事に復活すると言い出した。東京の主治医の定期診察のあと、久々に立ち寄ると言うのだ。今回は原因不明の「めまい」も、このところなりを潜めているので、処方箋をもらうだけだという。心配なのは、母の後輩がやっている趣味の店に立ち寄り、消耗品を補充してから行くというが、主治医のところから人形町まで地下鉄の乗換えがあり、稽古事のところまでも、地下鉄を乗り換えなければならない。近くて遠い。階段が多く、萎えた足が持つかということだった。

私も家業の関係で人形町のそばまで行くので、付き添うと言った。ところが朝、私がトイレに入っている間に母は逃げ出してしまったのだった。その元気が有ればいいかと、後を追わずに次のバスに乗って東京に向かった。交渉を済ませ、御成門の慈恵会医大病院の眼科に薬の補充と検査の予約を取りに向かった。

風邪薬を長く続けているとドライアイが進む。網膜色素変性症にはドライアイは直接関係無いが、症状は悪化する。夜盲が進んで、暗闇を見ると湧き上がる水の影のようなちらつきが激しくなり、今では無灯火自転車がまるで見えなくなってしまった。秋は太陽の高度が低い。そのために、直遮光が目に入りやすく、たちまちハレーションを起こして日射側からやってくる方が全く見えなくなる。この傾向がドライアイっぽくなると、より調子の悪い右目を開いていられなくなってしまう。雪山に行った方がかかるような網膜の炎症でハレーションが起きるのと似ている。

前の井上眼科では、近いうちに全盲になると宣告された。処方薬は、網膜周辺の血流を増加させ、眼圧を下げるだけ。最悪の時期を遅らせるための薬だという。母の世話をやいている状態ではないのだが、視覚障害用情報機器は徐々に練習しておこうと思っている。福島智氏を見ていると勇気付けられる。やれることはある、それを探って掴んでおくのである。

予約してあったので、すぐに主治医がわりの医師が形式的なチェックをして、処方箋を出した。薬を薬局で受け取った。iPS細胞を使った再生治療では、人体の網膜再生治療が実用化するのが数年後だが、治験として認められるだけだ。果たしてその治療を受けたとしても、今の私には保健の範囲を超える高額医療の手術費は支払えない。

憂鬱な気分だが、今日は眼科の段取りが予約してあったので、予想外に早く処理が進んだ。問題はその後の遠縁のおばさんが入院した病院を確認することだった。情報としてマンションは息子さんが引き払ったという話があったから、嫌な予感はしていた。

案の定、病棟にいくと、病院受付で身元確認を執拗にされたが、区の方から連絡をしてもらっていたので、消息を知ることが出来た。やはり亡くなっていた。その後の情報は途絶えている。私並みに変わった息子さんが世話をしていたが、私の方に連絡がないということは、意識的と思われた。関西の親戚にも連絡をしていないというので、何かが起きているのだろうと推測された。追うのは諦めた。頼まれていた関西の親戚の方に、電話を入れて、茅ヶ崎に駆け足で戻った。お金に不自由していたひとではないのにと思いつつ、ひとの最期の呆気なさに寒々とした思いを抱いていた。母の明日も私の近未来もわからない。今を自覚的かつ確実に生きることしか、手立てが無いのだ。

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茅ヶ崎には夕方ぎりぎりに戻ってこれた。県保健福祉局総務課が引き受けてくれた連続セミナーの講師探しは、総務課も難航したらしく、再びめぐって茅ヶ崎の保健所に舞い戻り、茅ヶ崎の保健予防課が被災地の長期滞在チームの該当者を選んでくれることになった。駆け込み12月(または1月上旬)の第一回セミナーである。当初、別の地域の保健師さんが講師に浮上していたが、被災地に行ってそのまま年越しの様で、日程的に無理という事で、別の方を当たってきた。

今回のセミナーは関係者の合同勉強会のようなもので、生活支援の流れを市民活動(社会活動)レベルでも、専門職活動の外周として有効な具体的支援を探っていく。それ以上でも以下でもない。ただ、この集まりは、来年度も、もっと期間は開くが継続していくつもりだ。テーマが広いからだ。ただその会も使ってもらえなければ、厳しい空転孤立の会を引き受け、それなりに価値を高め継続していくだけだ。必要性・重要性という「状況を見極める認識」だけは、アクチュアルにとらえて行きたい。価値を利用するか、無視するかは先方の選択だ。

話し合いでは、目的や呼びかけ対象の意見交換をしたが、現場感覚や場面感触が第一回では特に重要視される。要援護者に起こった困難、支援の連携のこと。それを語り合う会にしたい。翔の会が12/15に会を持つ。障がい者施設の側からの防災の講演だから結果的に補完的になった。これから高齢者関係・母子関係のところにも参加を呼びかけていく。だから、はやく人物と日程が決まらないと、動き出せないのだ。公共の会議室はおそらくいっぱいだろう。会場さがしにも時間がかかるのだ。

次々に依頼が人の手を渡っていくたびに、話が先送りされる。時の浪費、その空転に耐えなければならない。

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さすがに母は夕食を作れとは言わなかった。安全のために家に弁当を届け、ビッグイシューの支払いを済ませ、立ち食いそばで仮の食事をして仕事に向かった。

さすがに眠気が襲う。偶然、時間が遅いというのに母と帰宅が揃い、追加のインスタントスープを母に出して、とにかく1時間強、仮眠を取った。懇々と家事が溜まっていると母の説教を受けて、なんとかだまして母を自分の部屋に詰め込み、握り飯片手にPC作業と夜間傾聴の準備を始めた。講師依頼書と関係資料を作り、鶴嶺高校の掲示資料(スライド)を作成。

夜間傾聴第一号は、今夜は明け方になって、ホームで始発を待っているという。親と喧嘩してネットカフェに何日か泊まろうとしたが、家に戻ることにしたという。私の専用携帯の電話は塾長が教えてくれたという。彼は普段担当していた子ではない、話は読めた、塾長の押し付けだった。

別の相談の彼は、相談をやっぱりやめますとひとこと言って、悩みの中身を言うでもなく勝手に電話を切って、切られた私は、彼の予測がつかなくて、私は不安の固まりになってしまった。どうしたのだろうと。結局その後の相談はなく、傾聴はこのふたりだけだった。

まもなく日が昇る。集落から離れた生活孤立の高齢者とくに体力の落ちた方が、地域で孤立することが起こりうる。どのような枠組みで引き受けるか思案している。

夜間傾聴>ふたり


(校正2回目済み)

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