母の足の腫れは薬の効果だろう、急速によくなった。痛みやアザは以前残っているものの、私の反対を押し切って地元の眼科に出かけていった。タクシーを使えと言ってあったので、行きがけはそれを守ったようだが、帰りはバスで茅ヶ崎駅前に出て、買い物途中で出合った昔の隣人集団とお茶を飲んで帰ってきた。患部側の片足立ちが出来ない状態で、まだ消炎剤を飲み続けているというのに困った親だと思う。
母の眼科の午後の診療開始時刻の14時の少し前に母はタクシーで出て行った。私は昼前に藤沢で買い物を済ませ、結局、青海会場の講演会は父の見張りで流されてしまった。眼科は白内障手術後の定期検査であり、日が決まっている。少なくとも数時間は、父がひとりになってしまうというのだ。金曜日、身辺介護のヘルパーさんは、いつもの方ではなく臨時の方が父の面倒を見た。そのときに緘口令(かんこうれい)を敷いていた茶の間の新しいTVの話を話題にしてしまったために、父はそのTV見たさに、危うい足取りで階段最上段をうろついていたので、目を離すことが出来なくなっていた。
それを理由に母は私の会への外出を止めた。14時には家に戻り母の通院と交代する約束をした。
母の茶碗の茶のぬくもりから、交替時間のブランクはほとんどないと判断されたが、私の帰りの音を察知して父の呼び声がしたので部屋に行ってみると、布団に簀巻き状態で頭を下にして父がベッドからずり落ちていた。
身動きとれないその状態で「朝からなにも食べていない。食事にしてくれ」と父は懇願した。目の前のテーブルには盆の上にソバを食べた昼食の椀があり、朝食べ残したバナナの皮が、無造作に引きちぎられたトイレットペーパーに包まれて変色していた。認知症の特徴がその言葉に表れていた。
父をベッドに引き上げ布団を解いた。案の定、下半身は裸。脱ぎ捨てられた紙パンツは毛布に包まれ、床はじっとりと尿に湿っていた。パジャマズボンはベランダ側の窓下にころがっており、レースのカーテンは遮光カーテンの上に押しやられており、父が介護者の留守中にひと仕事したことを物語っていた。
父の肌着は尿を背負ってびしょぬれである。母が出がけに着替えさせて2~30分そこそこの出来事である。これでは目を離せない。
着替えさせ、軽く茶漬けを作って持っていくと、父は茶の間のTVの大きさを問いかけてきた。父は本来、茶の間に居座り、家中が見える位置でTVを眺めていたいのである。だからTVの話は、階段を降りてくる前兆だった。困ったことになった。
茶漬けを食べれば、父は昼寝の時間である。私は缶詰になってしまった家で、いつもどおりの家事、山のような洗濯・炊事の始末を済ませてPCに向かった。やる仕事は山積している。しかし私が提案した企画がこうして流されることは、本当に堪忍して欲しい。あらゆる企画が父の排泄と階段落下防止の見張りで流されてしまうのだ。憂鬱さが作業への気持ちを抑えていた。
やがて母が機嫌よく帰ってきた。約束を破りバスを使って、荷物を抱えて帰ってきたのだった。母の話しかけに答える気にならなかった。母は東京への企画参加を流されたことを拗ねていると勘違いしている。「夜は早めに作って済まさせて欲しい、巡回があるから」と母に伝えた。この時間作りとて、父がベッドから落ちてくれば吹き飛んでしまう。
洗濯物を取り込み、夕食を作った。母は菓子とお茶を盆にのせ、父に届けようと階段を昇った。そのときである。茶碗がひっくり返って階段を転げ落ち、周囲が水浸しになってしまった。母は無理をしている。盆を安定させて持っていくことが出来なかったのだ。巡回開始時間を30分遅らせてもらい、夕食を父に食べさせ、洗濯物を袖たたみであるが、たたんでから家を出た。
帰り、相模線の車中でポメラに文章を打ち込んでいるうち、うたた寝して傍らに置いた資料を落としてしまった。スランプの一日がともあれ終わって行った。
夜間傾聴:入谷さん(仮名・在米)>留守電あり、お久しぶり!
******君(仮名)
小田急相模原君(仮名)
p.s. サポセンのフォーラムにFMトランスミッターを貸し出したが、無事だったかなと少し心配。
(校正2回目済み)
母の眼科の午後の診療開始時刻の14時の少し前に母はタクシーで出て行った。私は昼前に藤沢で買い物を済ませ、結局、青海会場の講演会は父の見張りで流されてしまった。眼科は白内障手術後の定期検査であり、日が決まっている。少なくとも数時間は、父がひとりになってしまうというのだ。金曜日、身辺介護のヘルパーさんは、いつもの方ではなく臨時の方が父の面倒を見た。そのときに緘口令(かんこうれい)を敷いていた茶の間の新しいTVの話を話題にしてしまったために、父はそのTV見たさに、危うい足取りで階段最上段をうろついていたので、目を離すことが出来なくなっていた。
それを理由に母は私の会への外出を止めた。14時には家に戻り母の通院と交代する約束をした。
母の茶碗の茶のぬくもりから、交替時間のブランクはほとんどないと判断されたが、私の帰りの音を察知して父の呼び声がしたので部屋に行ってみると、布団に簀巻き状態で頭を下にして父がベッドからずり落ちていた。
身動きとれないその状態で「朝からなにも食べていない。食事にしてくれ」と父は懇願した。目の前のテーブルには盆の上にソバを食べた昼食の椀があり、朝食べ残したバナナの皮が、無造作に引きちぎられたトイレットペーパーに包まれて変色していた。認知症の特徴がその言葉に表れていた。
父をベッドに引き上げ布団を解いた。案の定、下半身は裸。脱ぎ捨てられた紙パンツは毛布に包まれ、床はじっとりと尿に湿っていた。パジャマズボンはベランダ側の窓下にころがっており、レースのカーテンは遮光カーテンの上に押しやられており、父が介護者の留守中にひと仕事したことを物語っていた。
父の肌着は尿を背負ってびしょぬれである。母が出がけに着替えさせて2~30分そこそこの出来事である。これでは目を離せない。
着替えさせ、軽く茶漬けを作って持っていくと、父は茶の間のTVの大きさを問いかけてきた。父は本来、茶の間に居座り、家中が見える位置でTVを眺めていたいのである。だからTVの話は、階段を降りてくる前兆だった。困ったことになった。
茶漬けを食べれば、父は昼寝の時間である。私は缶詰になってしまった家で、いつもどおりの家事、山のような洗濯・炊事の始末を済ませてPCに向かった。やる仕事は山積している。しかし私が提案した企画がこうして流されることは、本当に堪忍して欲しい。あらゆる企画が父の排泄と階段落下防止の見張りで流されてしまうのだ。憂鬱さが作業への気持ちを抑えていた。
やがて母が機嫌よく帰ってきた。約束を破りバスを使って、荷物を抱えて帰ってきたのだった。母の話しかけに答える気にならなかった。母は東京への企画参加を流されたことを拗ねていると勘違いしている。「夜は早めに作って済まさせて欲しい、巡回があるから」と母に伝えた。この時間作りとて、父がベッドから落ちてくれば吹き飛んでしまう。
洗濯物を取り込み、夕食を作った。母は菓子とお茶を盆にのせ、父に届けようと階段を昇った。そのときである。茶碗がひっくり返って階段を転げ落ち、周囲が水浸しになってしまった。母は無理をしている。盆を安定させて持っていくことが出来なかったのだ。巡回開始時間を30分遅らせてもらい、夕食を父に食べさせ、洗濯物を袖たたみであるが、たたんでから家を出た。
帰り、相模線の車中でポメラに文章を打ち込んでいるうち、うたた寝して傍らに置いた資料を落としてしまった。スランプの一日がともあれ終わって行った。
夜間傾聴:入谷さん(仮名・在米)>留守電あり、お久しぶり!
******君(仮名)
小田急相模原君(仮名)
p.s. サポセンのフォーラムにFMトランスミッターを貸し出したが、無事だったかなと少し心配。
(校正2回目済み)