湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

父に茶の間のTV新規購入はばれてしまった他

2010-02-21 08:32:10 | 引きこもり
母の足の腫れは薬の効果だろう、急速によくなった。痛みやアザは以前残っているものの、私の反対を押し切って地元の眼科に出かけていった。タクシーを使えと言ってあったので、行きがけはそれを守ったようだが、帰りはバスで茅ヶ崎駅前に出て、買い物途中で出合った昔の隣人集団とお茶を飲んで帰ってきた。患部側の片足立ちが出来ない状態で、まだ消炎剤を飲み続けているというのに困った親だと思う。

母の眼科の午後の診療開始時刻の14時の少し前に母はタクシーで出て行った。私は昼前に藤沢で買い物を済ませ、結局、青海会場の講演会は父の見張りで流されてしまった。眼科は白内障手術後の定期検査であり、日が決まっている。少なくとも数時間は、父がひとりになってしまうというのだ。金曜日、身辺介護のヘルパーさんは、いつもの方ではなく臨時の方が父の面倒を見た。そのときに緘口令(かんこうれい)を敷いていた茶の間の新しいTVの話を話題にしてしまったために、父はそのTV見たさに、危うい足取りで階段最上段をうろついていたので、目を離すことが出来なくなっていた。

それを理由に母は私の会への外出を止めた。14時には家に戻り母の通院と交代する約束をした。

母の茶碗の茶のぬくもりから、交替時間のブランクはほとんどないと判断されたが、私の帰りの音を察知して父の呼び声がしたので部屋に行ってみると、布団に簀巻き状態で頭を下にして父がベッドからずり落ちていた。

身動きとれないその状態で「朝からなにも食べていない。食事にしてくれ」と父は懇願した。目の前のテーブルには盆の上にソバを食べた昼食の椀があり、朝食べ残したバナナの皮が、無造作に引きちぎられたトイレットペーパーに包まれて変色していた。認知症の特徴がその言葉に表れていた。

父をベッドに引き上げ布団を解いた。案の定、下半身は裸。脱ぎ捨てられた紙パンツは毛布に包まれ、床はじっとりと尿に湿っていた。パジャマズボンはベランダ側の窓下にころがっており、レースのカーテンは遮光カーテンの上に押しやられており、父が介護者の留守中にひと仕事したことを物語っていた。

父の肌着は尿を背負ってびしょぬれである。母が出がけに着替えさせて2~30分そこそこの出来事である。これでは目を離せない。

着替えさせ、軽く茶漬けを作って持っていくと、父は茶の間のTVの大きさを問いかけてきた。父は本来、茶の間に居座り、家中が見える位置でTVを眺めていたいのである。だからTVの話は、階段を降りてくる前兆だった。困ったことになった。

茶漬けを食べれば、父は昼寝の時間である。私は缶詰になってしまった家で、いつもどおりの家事、山のような洗濯・炊事の始末を済ませてPCに向かった。やる仕事は山積している。しかし私が提案した企画がこうして流されることは、本当に堪忍して欲しい。あらゆる企画が父の排泄と階段落下防止の見張りで流されてしまうのだ。憂鬱さが作業への気持ちを抑えていた。

やがて母が機嫌よく帰ってきた。約束を破りバスを使って、荷物を抱えて帰ってきたのだった。母の話しかけに答える気にならなかった。母は東京への企画参加を流されたことを拗ねていると勘違いしている。「夜は早めに作って済まさせて欲しい、巡回があるから」と母に伝えた。この時間作りとて、父がベッドから落ちてくれば吹き飛んでしまう。

洗濯物を取り込み、夕食を作った。母は菓子とお茶を盆にのせ、父に届けようと階段を昇った。そのときである。茶碗がひっくり返って階段を転げ落ち、周囲が水浸しになってしまった。母は無理をしている。盆を安定させて持っていくことが出来なかったのだ。巡回開始時間を30分遅らせてもらい、夕食を父に食べさせ、洗濯物を袖たたみであるが、たたんでから家を出た。

帰り、相模線の車中でポメラに文章を打ち込んでいるうち、うたた寝して傍らに置いた資料を落としてしまった。スランプの一日がともあれ終わって行った。

夜間傾聴:入谷さん(仮名・在米)>留守電あり、お久しぶり!
     ******君(仮名)
     小田急相模原君(仮名)

p.s. サポセンのフォーラムにFMトランスミッターを貸し出したが、無事だったかなと少し心配。


(校正2回目済み)

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北村年子さんの藤沢講演にお邪魔しつつ

2010-02-21 06:13:27 | 引きこもり
私が北村年子さんの仕事に出会ったのは、「『ホームレス』と出会う子どもたち」のDVDを購入してから、以前「大阪・道頓堀川『ホームレス』襲撃事件-”弱者いじめ”の連鎖を断つ」の著者の仕事に再会するという遠回りな出会いだった。DVDは、子どもが野宿者の炊き出し巡回を行うことによって、野宿者の人生に触れる体験をする。大阪「こどもの里」の20数年続いてきた活動を紹介することによって、野宿者への偏見と差別の現実をその根元から問う発火点のような教育活動へと高めていった作品、いわば鑑賞者に膨大な格差社会の構造的差別(生田武志氏)に、自らの人生を考える切り口(手がかり)を提供した。

この映像を作り上げた集団の中に北村さんがいた。私は十数年前の書の著者に再会した思いの中で関連書「ホームレス襲撃事件と子どもたち」(2009年・太郎次郎社エディタス刊)を読み始めた。

私はそこに北村さんの仕事の重要な幹、ひとが肯定的に生きていくことの大切さの論拠と同時に、優れたルポライター魂を感じ取っていた。私たち教育カウンセリングをする者にとって「臨床」と呼ばれる現場は、ひりひりする現実の中にある。北村さんは、足を使いまさにひりひりする現場を踏んでいくのだが、そこに起きている出来事の意味、出会う当事者の心のひだを読み取っていく、その的確さに引き込まれた。場の読み取りは、束ねつかみ出す、いわば編集力がなくては事が読めない。それが先入観として出来事を覆いつくしてしまう危険と拮抗していく仕事、それがルポである。北村さんのルポは差別される側の心の闇のやるせなさと、差別する側の稚拙な発想の歪みの背後をつかみ出していた。

私はDVDの子ども夜回り活動には、鑑賞者の居る生活圏から競争社会の構造的差別を問いかけ、ともに生きていくことの地下茎のような共感を直感的に伝えていく素晴らしさを感じつつも、子どもに訪問される野宿者のせつなさを感じ、その視点が浮かび上がらない物足りなさを感じていた。

それに対し、北村さんの著書は丁寧に当事者と向き合い場を読み解いていた。遅筆であると北村さんが語っておられるが、描かれたものが練れているのだ。ただ、その仕事がパノラマ風に描かれている点が、道頓堀川で起きた出来事を断ち切られたような思いとなる原因になっている。三部構成を貫く北村さんの積年の物語が前面に出て、それはDVDとともに教育実践として昇華しているのだが、例えば偶然この書を手にした読者は何を感じるだろうか。あっさりとした前書きだけでは、北村さんの変遷、ルポライターから教育実践者への脱皮が生み出す断層と書の構成ゆえの困惑にぶつかるだろう。私のような授業を行う教員は、テーマをたてて、その流れの中に自由と創造を呼び込んでいく。その習性からパノラマ形式には違和感を感じてしまう。

私は藤沢講演をしている北村さんが、実はエッセンスを短時間に語ることに腐心していることが目に付いてならなかった。ルポライター魂を持つものは、語りたい思念を事実という絞りきらぬ果実を差し出すことによって、思いを通していく。それが目的を解きほぐして伝える宣教者風に押し込められれば、事実は例証に化けていくだろう。その着心地の悪さのようなところが、書との落差のなかで気になってしまうのた。

北村さんを生かすには、ゼロさんのこと、子どもの里のこと、川崎の実践のこと、その具体的な関わりの語りの先に、目的を見通すようなルポライター魂の語り可能な場をセットすることだと思った。私が北村さんへの御礼のメールに使った「積年の物語」の思念の語り部としてではなく、ひりひりする現場を見通す者として針の穴から天を覗いて欲しいのだ。

私は夏場、目のセカンドオピニオンの診察を受けに京都にいく。そのときに一泊ではあるが大阪に寄り道する。ビッグイシューの本社を回ったあとに、釜ヶ崎の空気を吸ってこようと思うのだが、迷惑かなと思いつつ「こどもの里」に荘保共子さんを訪ねてみたいと思っている。(勿論アポは取る。)

(校正2回目済み)
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