湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

東京ボラセンフォーラム「協同労働の協同組合」分科会レポート/だからこそ…

2010-02-09 11:33:51 | 引きこもり
東京ボラセンフォーラムの最終日、私は「市民活動の新しい選択肢『協同労働の協同組合』~新しい働き方、新しい市民活動スタイル~」の分科会にでていた。講師は

川原隆哲さん:日本労働者協同組合ワーカーズコープ・センター事業団三多摩事業本部長
田嶋康利さん:協働総合研究所専務理事
中村光男さん:企業組合あうん発起人
保坂弘子さん:東京ワーカーズ・コレクティブ協同組合副理事長

という面々。

NPO、一般社団、財団に続き、法律制定が目前に迫っている新しい法人「協同労働の協同組合」組織を事例の中に考えていく内容。

神奈川県はワーカーズ・コレクティブ活動の先進県でもある。しかしその活動は主婦主導の活動だと思っていた。東京のワーカーズ・コレクティブもまた同様の内容で、全体としても就労支援活動との結びつきや、障がい者・引きこもり・路上生活者を横断する領域との結びつきは希薄だと思っていたので、そこから当事者活動をどう生み出していくかを考えるのは、結局は関連活動をしている者達の議論から考えていかなくてはならないのだろうと考えていた。

私が上げた領域では、大枠で庇護的な支援活動が展開され、そこから当事者が自主的な活動を展開するのは、暗黙のうち「無理」という先入観が支配的な領域だったと思う。ワーコレもまた、子育て・衣類リサイクル・環境・食と消費・介護というひとの自主自立の課題ではなく、主婦の活動領域の拡張の線上に取り組んできたと考えてきた。それだけに社会参画と就労支援という主婦にとって他者性を孕む、主体を拡張したネットワーキングの領域が登場してきたことは、質的な意味で、非常に面白いことだと思っている。

私が関心を持っているソーシャル・ファームの包括的な活動の中の当事者活動とのマッチングという課題つまり、支援活動からの脱却の課題が、この分科会では直接論じられたことは、意味が大きかった。

例えば引きこもり青年に、心の静穏誘導と社会復帰のファーストエイドを提供する活動、つまり支援活動では、当事者の相互が結びつくことの価値が無定義のまま、社会の枠に押し出されていく不毛さを伴っていた。障がい者の活動も然り、どこまでも個人の心身の成長を支える形の活動からはみ出していく部分、就労とか文化活動などの部分が極めてスタティックにしかとらえられてこなかったように思う。

身体障がいの場合を除いて、知的・精神・発達障がいの領域に関係の結びなおしを伴う諸活動は社会参加的就労活動の中に生まれてきたにも関わらず、それが資力という縛りの中で、卵の殻を破れないでいること。

路上生活者に至っては、どこまで行ってもぶらさがりというレッテルが貼られてきたように思う。絶望が深ければ深いほど、社会への懐疑があり、社会や支援という人的エイドの略奪に心を奪われるのは当然といえば当然なのだ。しかし、就労は社会との関係の結びなおし、名刺を持つことであり、その生産関係のネットワークへの参加という自主性と相互協調を問われる、生活活動とともに基本的な活動だ。

採用されず、生産手段を持たないがために、失脚から復帰できない社会環境に押し出されている路上生活者の活動もまた、社会の閉鎖性ゆえに自助的な社会参画活動は、地下で根を広げている状態だと考えてきた。

私が提唱してきた¥「ケア・パートナー」という従来のジョブ・メンター的なチーム就労形態は、引きこもり青年と障がい者の非対称協同活動の「他者(相手)のために働く」「私たちのために働く」というひとの相互関係を就労の根本に据えていく仕掛けだったのだが、この自主参加の枠組みなどの諸実践が抽出して論議され始めたこと、ひとつの就労の枠組み「協同労働の協同組合」という形の論議を媒介に話されたことは、意味が大きいと思っている。

今回は「あうん」の中村さんの話が面白かった。路上生活者のグループホームのような形をとりつつ、リサイクル、片付け・引越し活動の仕事を共同出資の関係を基本に展開していた。最低1万円の出資を持って、雇用されるのではなく協同起業者として働くというスタイルだった。雇用促進ではなく起業、つまり自分で仕事を作る活動といえる。この1万円は、分割支払いが可能であり、退職するときは戻ってくる。

その関係の端的なエピソードが、中村さんは代表ではなく発起人であり、会の性格を打ち出すスローガン作りの際、嫌がる中村さんをたしなめて「1万円出して社長になろう」というスローガンが通ってしまったという何ともちょっと笑えるお互いの関係だ。現31名の会員が働いているという。

この共同出資という枠組みが、自主活動の仕掛けなのである。路上生活者から誕生した活動として、面白い活動だと思う。見学に行きたいと思っている。

ワーコレ活動も、ワーカーズコープ協同組合もその職場転回への就労を意識した活動展開が行われていることが分かった。しかしこの共同出資協同生産という枠組みは、領域によってのアレンジが必要に思う。

従来の販売活動は、消費者との交流、消費者への商品提供を持って「社会参画」とした。そこを踏み込んで、自らの関係を問う活動が「協同労働の協同組合」である。

この件では、「あうん」の中村さんと話をしてみたいと考えている。

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父が珍しく、デイサービスの帰り階段介助の場面で、指示にあれこれ応答をした。おやっと思っていると、比較的軽くベッドに上っていった。ホームの職員さんの話によると、昼食後、大便が大量に出たという。その開放感が父を能弁にしたのだなとわかった。幼児なみと思いつつも、体調の影響の大きさを感じた。

母と私がともに出かけられるのは、父をホームに預けた日のうちの一部、月曜日しかないことがわかった。巡回を夜に回して、Tさんと彼の抱える家族の事情の協力者が得られた件で昼食をともにした後、今度は母を駅前に呼び出して急に壊れたTVを買い換えることにした。母はすぐに出かけられない。連絡後、茅ヶ崎市議会に「湘南ホームレス便り」をポスティング。ヤマダ電機をざっとみて、店員をチェック。希望のサイズと、説明可能そうな店員ふたりに声をかけて質問。ふたりともだめと判断し、藤沢ビックカメラに変更。母とふたり店員にからんできた。一応OKという機種に落着き、数日後到着することに。しかし奇妙なことばかりだ。HDD収録機は友人と録画の貸し借りするには、高い外付けDVDレコーダーがいるし、ブルーレイ内蔵機は、相手もブルーレイが使えなくてはならない。中途半端だなと思いつつ、TV視聴はプライベート利用が基本としていることがわかる。しかし、急な出費。お前払えよといわれてしまえば、頭が痛い。諾としたが、頭の中では首を振っている。

母と別れて、藤沢市議会に「便り」を投函。駆け足で夕食の買い物を済ませて家に飛び込んだ。階段介助のヘルパーさんが到着する5分前だった。ヘルパーさん到着後5分後には父が到着。ゆとりが全く無い。うっかりTVのことをヘルパーさんに語ったものだから、父に情報が漏れた。父は自分のTVが新しくなると思いこんでいる。短期記憶早く忘れてくれよと今回は症状頼みなり。

買い物途中、以前私の「わーく」の記者になってくれた亡き**子さんの親御さんと道で遭遇。私たちをつないでくれたSSWのNさんが年末年始にかけて救急入院していたことを教えてくれた。症状は回復されているとのことだが、どうしたものかと思っている。湘南の不登校引きこもりの訪問カウンセリングの草分けの方である。

また**子さんのことも思い出した。最後のとき、真っ赤な口紅をつけて私の寒川周りに付き合ってくれた。その翌々日、残念な服薬死を選んでしまった、何もしてあげられなかった悔いがまた、湧き上がってきた。解離性パーソナリティ障害といわれる症状だった。

「わーく」は3人の記者全員が命を失ってしまった。もうひとりは若いというのに内臓障害から肝硬変を経て、突然に亡くなった。最後のひとりは、家族の壮絶な激突の果てに、私が家族を引き離した結果、辻堂駅に身を投げてしまった。私がこれからも負っていかなければならない鮮烈な命だった。境界性パーソナリティ障害の診断を受けていた。

親御さんと別れたあと、私の脚が震えているのに気がついた。生きている者が負っていかなくてはならない、負の経験である。辻堂に着き、彼の立った位置を振り向き、何もならないと知りつつ手を合わせた。私はこういう若い命を踏みつけて生きている。ともに記事を論じることもなく、別れた命である。

寒川の保育園のYさんにもご無沙汰している。**子さんとふたり、寒川でお邪魔したときのことを思い出した。Yさんに会いたくなったが、Yさんは政治的立場が違うことにこだわる。でも行って見ようかなと思っている。

夜間傾聴:橋本2君(仮名)
     □□君(仮名・こちらから)
     大森海岸君(仮名・傾聴にあらず。端末ソフトの件で)

(校正1回目済み)
コメント
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