湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

父の衰え/あすなろ会定例会から/地域協働の枠組み講演を準備中(長いです、すみません)

2010-02-13 08:00:22 | 引きこもり
2010/02/11 記
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水曜日は、母が通院と稽古で、日中、東京に出る。そんな関係もあって、水曜日、父はデイサービスに出て行く。私も巡回を入れるが、16時半には父が帰って来るので、15時前に巡回を済ませなくてはならない。引きこもり青年は付き合う私と同様に昼夜逆転しており、直しても午前中、エンジンがかからない。だから13時~15時パターンが無理なときは、実質、自宅の家事買出しの一日になってしまう。デイの日は介護者もろとも生殺しとなる。

昨日も、山のような洗濯物を前に、訪問許可がなかなか出ない巡回を断念した。私が巡回に出れば、父の帰宅後の2時間後には湘南あすなろ会の定例会があるから、洗濯は東京から帰宅した母の仕事となる。覚悟を決めて糞尿まみれの洗濯とベッドメイク、父の居室清掃に取り組む。これから父の状態は一層悪くなる。最低一日二回の洗濯、ベッド上の着替え等の身辺介護の細切れ作業が増えていく。やっていけるのか、生殺しの時間、洗濯の渦を眺めては考える。

困ったことが起きている。ついにベッドマットまで常に尿びたしになってしまった。父が寝るときも下半身を丸出しにしているためである。紙パンツの意味がない。ショートステイの日程が入らないと、干すことができない。ショートステイの際にすべき家事が一気に溜まる。しかし、遠出は、この日に済ませたい。それに反して加わる用事は、ひどく重荷に感じる。業者に連絡したが、交換のマットは別料金になると聞き、已むを得ないのだが矛先無く腹がたつ。貸布団はだめだと母が嫌がる。布団を追加1枚買わないと干せないが、母には布団、なんでもいいというわけにも、いかないらしい。布団を買いに行くひとつも準備が要る。買い物を母に任せ私は父の見守りをしていなくてはならない。

うだうだ考えていると、時は過ぎ去ってしまう。少人数私募債(しぼさい)の解説書を借りたので、傍らにおいて読み始めておどろいた。今まで自分の専門外の書でも予測をつけながら読むことが出来たが、開けたページから、何にもわからない。税務・会計関係の書は確かに初めてである。目次を眺めて理由が分かってきた。細部を集めて全体像を書くという構成、関係者向けの構成なのである。概略から解きほぐしていない上に、専門用語が邪魔をする。困ったなと思っていたら、「債券を発行できるのは株式会社」とあって、企業の際の協同組合形式の参考にはならないのかと、またまたため息。資金集めによほど縁が無いのだなと実感した。敗北宣言した書籍は今年2冊目である。「少女宣言/北村年子著 1988 長征社刊」・「私募債の実務」、ちょっと悔しい。前者は、「ホームレス襲撃事件と子どもたち」の著者、北村年子さんの書である。

いま探しているのが、三ノ輪の「あうん」さんのような、共同出資の組合形式のような就労域拡張実践である。社会的ニーズの精査も必要。隠された鍵は再出発者の自立と意欲喚起の人間論的な仕掛けである。現状と飛躍がある理想論といわれるが、他府県の類似実践例があり、それを見て実現不可能な空論ではないと確信した。河野太郎さんのメルマガ・タイトルではないが「ごまめの歯ぎしり」の作業である。いつものとおり、換骨奪胎した閉鎖的な類似モデルが突然登場して、私の作業は見た目で亜流とレッテル貼られて流されるのが常だが、やらなくてはならない仕事である。

昨日の湘南あすなろ会の会合で、「あうん」と「舫(もやい)」の見学を企画したが当事者ふたり分の交通費や販売休止損分の一部を保証するので7千円強を捻出する必要がある。謝金を加えれば金額が1万円を越える。見学参加の支援者の分割負担とするか、販売促進でカンパを募るか、まだ方針が出ていない。

結局、この実践モデル作りを若松町ショップに置いた誤りのつけが来ているのだとわかる。生活保護件数の爆発と財政破綻という差し迫った地方行政の事情が追い風になるだろうという予測がありながらも、社会的困難者という横断的な質の実践が出てこない。私は本来の不登校・引きこもり畑、軽度発達障がい・精神障がい畑の実践からではなく、路上生活者支援から実践を組み立てていかなくてはならないのだろうか。中高年中心の活動という商売替えのような違和感が常につきまとっている。勿論、路上生活者支援から手を引くという低次元の問題ではない。この横断的な活動の芽を育てていく活動を手がけていくには、合流のモデルを内包した活動を始めなければと思う。

交通事故入院で断ち切られた活動から、8年経つ。巡回活動と授業の本業立て直しに2年、残り6年のうち3年は地域協働の就労支援窓口作りに費やし、2年は就労支援PJと若松町ショップ企画作りに参加した。残りの2年のうち1年は、退院後東京から湘南に地域を移す活動で過ぎていった。残り1年が地域空転と、路上生活者支援参入の年だった。誰に語りかけるべきかを探す一年だった。路上生活者支援も就労支援という共通項を持っている。しかしもうひとつ、緊急連絡先カード作りや、ビッグイシュー販売員・湘南ホームレス便り読者拡張を含む人材発掘の仕事がある。ここへの力量投下は膨大な空転が待っている。父の介護と生業の隙間がますます縮まる予測の中で、境界横断の活動への人材探・新しい血をどう入れていくかに力を入れたい。官製の第三セクタ待望と流れ込みでは状況が拓かれない。その肝のところを作る活動が必要なのだ。

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父が帰宅したとき、ホームの随伴者に見慣れぬ顔が。新人さんである。ところが、バトンタッチされて、玄関から父の居間まで運ぶのも、別事業所の予定外の臨時に入った新人さんだったのだ。結局父は見慣れぬ顔に玄関先で出会うことになり、さっそく指示無視の抵抗が始まった。年度末、新人さんの研修が始まっているのだろうが、こう重なると、火が付くと手に負えなくなる。父は威厳を保てるかのテストを初対面の方にぶつける。根性曲がりのろくでもない新人いじめである。父の宗教の信者さんの名前をあげて、すぐに来ると言っているから支度しないとと嘘をついた。父は急いで立ち上がり動き出した。しかし新人さん、段取りが下手なのである。担当者から指導されていた分、間違えまいと手順を踏む。それが父の動きと噛みあっていないのだ。

不機嫌と不満を露わにしながら、危うい足取りで父は階段を何とか上った。しかし帰るベッドは尿浸しである。椅子に座らせて、使い捨て作業用シートを敷いて、濡れたシーツの上にガムテープ止めした。そこに父を誘導したが、みるみるうちに、シーツ上を這う父の足にシーツは剥がれ、からまってしまった。

介護者の配慮もなにも、一度ベッドに戻ってからでないと、ポータブルトイレへの排泄をしないという父の儀式的なこだわりが、改善の試みを吹き飛ばしてしまう。新人さんの誘導の途中、尿意を問われた父は問いを一切無視。新人さんがベッドに戻った父に挨拶をしてさっさと帰るのをも見計らって、布団を身体に巻いたままベッドからひとりで降りようとして、墜落した。

父の背中と足はガムテープだらけ、間に合わなかった尿が布団に滲みる直前に私が布団を急いで引き剥がした。頭が下になる逆立ち状態の墜落だったから、大量の尿で汚れる範囲が広く、古参の方は父が儀式をするのを知っているから、時間内は待っているが、新人さんだから本当に帰ってしまい、父の怒りの虚勢の抵抗の中の救出作業になった。地獄である。父は信者さんが来るという嘘も、とうに忘れて、着衣を脱ぎ捨てて怒っている。状況に悲しいかな巻き込まれないスキルが身についているために、父の怒りと私の悲しさは胸の闇の中に消えていった。しかし、父を寝かせ周辺を片付けたたあとの疲労感と向き合いガス抜きを図る自己対話は時間がかかった。入所先探しをしないと、癇(かん)の強いひとの介護は介護者がつぶされてしまう。

以前のように父が階段を降りてくる状況は減っているので、階段下の玄関に毛布を敷いて仮眠というところまではしなくて済むが、四肢の引きつりの痛みをほぐし茶の間で、まずは夕食の支度を母にメールを送ることで役割を頼んで、ともあれ仮眠した。ストレスの始末。1時間ほど仮眠。

19時をまわって母が帰ってきてまもなく、新しいTVが届いた。食事と重なってしまったので、父に夕食を出して、設置の方は、当座の始末として、従来使っていた空中線アンテナで接続してもらった。無事放送を観ることが出来たが、双方向性を考えたらフレッツ経由にしておこうと考えている。これから非PCテレコムのモニターを作っておいたほうが、「わーく」静止画像携帯ネットの配信チェックにいいだろうという判断だった。

NTT東日本の作業はまだだが、当座の受信は成功した。NTT東日本の屋内配線工事は2階の父の部屋にも壁面端子をつけてもらうことにしている。TVローンが少し払えたあと、2台目ということで、父のTVを交換する。

しかしこれはこれで、新たな問題となる。父が階段を降りてくる火種になるからだった。当分は茶の間と階段の間の襖(ふすま)を閉めておくことにし、ヘルパーさんに緘口令を敷くことにした。以前より衰えた足で階段を降りられたら転落は死と隣り合わせになる。母が言うTV、「大きな顔だなあ」では済まないのだ。「落ちた方がいい」というのは、心情的には納得してしまうのだ。


夜間傾聴:□□君(仮名)




2010/02/12 記
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寒さのためか、手首・足首がきりきりとつって目が覚める朝5時。昨夜父はうなされた。今までのように、解離した世界に浸るという状態ではなく、腹痛を訴えるようなうなされ方に、2階に上がっていった私が不安になった。午前0時すぎと午前3時半ごろの2回。部屋が暖房してあっても、身体に変調を来たすのは、どうしてなのだろう。父に漢方薬を服用させて眠らせたが、今度は私が手足がつってはどうしようもない。第一、夜間傾聴待機の状態でいつの間にか眠っていたのだから、話にならない。

いつもこの時期は案外静かだ。友人の進学先が決まり、卒業式が近くなるとまた山場が来る。本校からは来年度の契約について、個別指導授業枠を広げることを条件に契約延長を言ってきた。しかし父のことを考えると、母にその分をかぶせるわけにもいかず、早く介護度があがってショートステイをもっと使えるようになって欲しいと願う。きょう、人事担当と話し合う。月末までには話が決まる。もうひとつの塾の方は、ひとつ教室を閉鎖することが決まった。不況である。その分、橋本に教室が出来るかもしれない。その方が通いやすい、といっても大半は訪問指導だから、あまり関係ないといえば関係ないのだが。こちらの契約は、今年は生き延びている。室長の話は断った。片手間室長は必ず失敗するからだ。それを理由に私が首になりかねない。

茅ヶ崎の就労支援活動の状況に何を思うかということを、講師依頼書に添付することを求められている。市行政は就労支援活動は基本は県の仕事と思っている。その枠の中で市行政を考えているので、いくら市町村行政と言っても、産業振興とひとくくりの中で考えるために、今失業している方や、就職に困難がある方の就業は、求人枠へのあてはめ推進と補助に流され、独自課題が非常に弱くなっている。だから一般就労は産業振興にあるとされる。

一方、障がい者の就労については、自立支援協を中心に、障がい者の一般就労支援という流れの中で基本は立てられている。特例子会社や一般企業への就労という枠を法令順守を盾に進めていくが、不況と適合職種という壁の中で思うように延びない。三障害の生活就労支援センターの相談業務の拡張と、就労支援の窓口拡張としての新センター作りが進行している。しかしそこが、地域に開かれた横断的協働労働のセンター(ソーシャル・ファームやリカバリーのセンターのような)というより、障がい者がいかに地域に就労するかという基本視点を転換していないので、地域潜在化する精神・軽度発達障がいあるいは、引きこもり・母子・高齢者・野宿者等の地域就労や起業などを貫く共通の視点は相変わらず抜け落ちている。

逆に障がい者家族・支援者は、地域起業に重点を置いたコミュニティ・ショップをあちこちで試行している。しかしそれは障がい者の就労する場作りであったり、コミュニティと言っても、市民交流の副次効果を狙うものであって、従来のコミュニティカフェ(精神障がいの領域で休息と関係者交流を軸に障がい者を施設利用者としてたてた交流スペース)を踏襲している。ある実践は、障がい者という利用枠内では就労時間後の交流の場提供をめざしているが、そのものには社会的困難者への連携の視座はない。就労は職業への「収まり」の課題であるという「常識」を超えているわけではないが、当事者活動を進める種は残している。またもうひとつのセンター作りの試みも進行しているが、結局茅ヶ崎は、より高次の地域連携を試みる力は希薄と言っていい。

ひとつは協業ということ、地域連携のための地域起業という合流点とともに生きていくための地域の社会的企業作り、つまり当事者と家族・支援者による起業を生み出す出発点作りを、特に地域の市民生活と消費・環境・介護などの領域への進出を、企業就労とは別の大きな流れとして、いわゆるソーシャル・インクルージョンの流れとして、横断的に作り上げていくこと。この視点を非箱物のソーシャル・ファームの提案をすることによって、視点の転換を地域に求めるという線を添付の招請理由書として描いている。就労支援PJの講演会である。

この合流点の実践モデルは、浦河べてるの家のような障がい者の地域定住と市民権獲得という線より、地域の公共ニーズに応える小さな有期限労働の蓄積や、実行委員会形式の問題解決労働という複数プロジェクト型活動の実行の中に有償社会参画活動をつくること。つまり既存企業の経営事情や、行政のアウトソーシング待望からはずれること。企業採用を求める活動と同時に、もう一本の地域起業の絵を、発生と消滅を負と考えない発想で地域起業をたてていく。それを例えば「買い物代行と高齢者生活支援」とか「青空(屋外協働)プロジェクト」というように、横断包括性の高い提案を地域就労起業センターのような場(建物は、あったほうがいいが十分条件ではない)形成を背後に孕んで、地域就労企画を立ち上げていくこと。立ち上げから協業の就労実践の芽を組み込んでいく。こういう畑を耕すような活動を実践モデルの骨格としたい。

就労当事者が支援者・関係者とともに考える。実践の結びつきなく施設を作るのではなく、まずは地域包括的就労実践を企画し実践していくことを大事に生み育てたい。就労支援活動は、企業就労支援との二本の基軸であるということだ。

ばらばらな動きから、よりインクルーシブな企画を届け、それへの参加協力をそれぞれの動きに重ねていく、そういう協働実践を描いている。

正直言って苦戦中である。今日は日野市で行われる中原ひとみ氏の「IPSとリカバリー」の講演に参加する。夕方まで父のことを母に任せるが緊急呼び出しがあれば帰ると約束した。ポメラ持参で相模線往復作業できるだろうか。

夜間傾聴:□□君(仮名・母親)
     橋本2君(仮名・こちらから)

<参考資料>
●「20~30代ホームレス急増 大阪は施設入所者の3割超」
●「生活保護予算、地方自治体の財政圧迫 補正総額4倍に」


<気になる記事>
●「植物状態の人と「会話」 fMRI使い脳活動検出」
●「ツイッターで客呼び込めるか 福岡で社会実験」
●「救急隊が「死亡」判断、実は生きていた 脈拍気づかず」


(校正2回目済み)
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