お盆の期間中は空転が続く、当たり前ではあるが。
8/28 「世田谷区障害者就労支援ネットワーク」の見学会の件で、参加要請のダメ押し巡回をしてきたのだが、現在4名。話題を膨らませ、マイクロバス依頼をかけるには、倍の人数が欲しい。25日を締切りにしたが、もう少し早く人数をつかみたいのだ。
今日は、
元町の家
とれいん
翔の会本部
茅ケ崎市社協
を回ってきたのだが、同日に企画が重なる社協を除いて YES/NO そのものがわからなかった。
巡回を終え、辻堂の駅前に出た。線路際の空き地から*君の自殺現場が見えた。地元に支援ネットワークが出来る前に…なぜだ?無念が募る。立ち止まって、こみ上げる気持ちを飲み込んで、ホームの一角をみていた。
Uさんから、私の活動の原点を語るべきであるという指摘があって、それが一理あるなと思いつつも、共通の対話の場がなければ、常に「言葉は凍えてしまう」ことを思う。蒸し風呂のような陽気の中でさえ、ひんやりとした硝子の壁が見えている。
関係性の困難は精神障害領域の特徴だが、それは即、神経症を意味しない。
ふたつ例を出そう。
ひとつは、DVの場面で出会う亀裂だ。
思春期の娘さんを父親が犯した。ところが訴えに対し、父親は常識を盾に犯行を否認したという事例。誰も話を信用してくれない。訴えかければ、次第に訴えは真実味をおびてくるが、その言葉は忌避される。耳をかせば、ひとは親を裁くことに腰が引けてしまう。意識的関わり(当事者・支援者活動/医療活動)のないところでは、娘さんの言葉は行き所がない。
もうひとつの例は、私が体験したこと。
ひどい喘息持ちだった私は、高校の出席日数が足らずに留年した。その2度目の学年、偶然教員陣・同じメンバーが降りてきて、私は2回目の授業を同じ教員からうけることになった。その授業は、同じ場面で同じ冗談を言い、生徒の類似の回答に教員はそれが初耳であるかのように驚き、生徒を褒めた。これが続いたのだった。
衝撃だった。
その事実をクラスの友人に話すと、言葉はたちまち凍りついた。応答はなくなり、あるいは嫌な顔をされて友人は場を去っていった。分かち合うことができない言葉があるのだと知った。
ひとの関係性が読めない、あるいは混乱する特徴が精神障害であるとするなら、この言葉の亀裂はなんとするだろう。心的外傷(PTSD)?トラウマ?
ひとは解説不能の淵を無自覚に歩いている。それだけの事実なのだが、亀裂に落ちた者とどのようなつながりを持ちえようか。父親を弾劾する?教員の不実をなじる?たしかにしてはならないことを彼らはしている。しかしそのことが当事者とともに歩むことになるだろうか。
その事実を踏まえ、その事実を克服することに力を貸すだろうか。そこから得られるものは苦い果実だろう。それとは無縁に当事者の生活のたて直しに尽力すべきだろうか。これもまた回避の嘘が疼いてくる。十分に痛みは分かち合わなくてはならない。しかしその先は、その出来事とは直結しない当事者の新規の一歩、新たな踏み出しに伴走することだろう。
言葉があるとき、その指し示す出来事ゆえ凍りつき、彼の視座は無視され別の判断がお仕着せられても、言葉は多義的であり、どう積み上げ、どうすり合わせても溝は埋まらないどころか、溝の糊塗、亀裂が深まることすらあるのだ。
私は当事者の闇を自覚的に関わることができる意味で、翻訳者になりうると思いつつ、私は代弁者ではないと思う。舟板一枚の地獄の上でひとは幸せを享受している。それを「いかん」という超越者の立場には、私はたたない。しかし亀裂に落ちた方と痛みを分かち合うことを私は厭わないだろう。
カウンセリング活動をしていれば、凍える言葉に囲まれていると言っても過言ではない。では「伝わる言葉」とはなんだろうか。再び私は立ち止まってしまうのだ。
夜間傾聴:入谷さん(仮名)
旗の台君(仮名)
(校正2回目済み)
8/28 「世田谷区障害者就労支援ネットワーク」の見学会の件で、参加要請のダメ押し巡回をしてきたのだが、現在4名。話題を膨らませ、マイクロバス依頼をかけるには、倍の人数が欲しい。25日を締切りにしたが、もう少し早く人数をつかみたいのだ。
今日は、
元町の家
とれいん
翔の会本部
茅ケ崎市社協
を回ってきたのだが、同日に企画が重なる社協を除いて YES/NO そのものがわからなかった。
巡回を終え、辻堂の駅前に出た。線路際の空き地から*君の自殺現場が見えた。地元に支援ネットワークが出来る前に…なぜだ?無念が募る。立ち止まって、こみ上げる気持ちを飲み込んで、ホームの一角をみていた。
Uさんから、私の活動の原点を語るべきであるという指摘があって、それが一理あるなと思いつつも、共通の対話の場がなければ、常に「言葉は凍えてしまう」ことを思う。蒸し風呂のような陽気の中でさえ、ひんやりとした硝子の壁が見えている。
関係性の困難は精神障害領域の特徴だが、それは即、神経症を意味しない。
ふたつ例を出そう。
ひとつは、DVの場面で出会う亀裂だ。
思春期の娘さんを父親が犯した。ところが訴えに対し、父親は常識を盾に犯行を否認したという事例。誰も話を信用してくれない。訴えかければ、次第に訴えは真実味をおびてくるが、その言葉は忌避される。耳をかせば、ひとは親を裁くことに腰が引けてしまう。意識的関わり(当事者・支援者活動/医療活動)のないところでは、娘さんの言葉は行き所がない。
もうひとつの例は、私が体験したこと。
ひどい喘息持ちだった私は、高校の出席日数が足らずに留年した。その2度目の学年、偶然教員陣・同じメンバーが降りてきて、私は2回目の授業を同じ教員からうけることになった。その授業は、同じ場面で同じ冗談を言い、生徒の類似の回答に教員はそれが初耳であるかのように驚き、生徒を褒めた。これが続いたのだった。
衝撃だった。
その事実をクラスの友人に話すと、言葉はたちまち凍りついた。応答はなくなり、あるいは嫌な顔をされて友人は場を去っていった。分かち合うことができない言葉があるのだと知った。
ひとの関係性が読めない、あるいは混乱する特徴が精神障害であるとするなら、この言葉の亀裂はなんとするだろう。心的外傷(PTSD)?トラウマ?
ひとは解説不能の淵を無自覚に歩いている。それだけの事実なのだが、亀裂に落ちた者とどのようなつながりを持ちえようか。父親を弾劾する?教員の不実をなじる?たしかにしてはならないことを彼らはしている。しかしそのことが当事者とともに歩むことになるだろうか。
その事実を踏まえ、その事実を克服することに力を貸すだろうか。そこから得られるものは苦い果実だろう。それとは無縁に当事者の生活のたて直しに尽力すべきだろうか。これもまた回避の嘘が疼いてくる。十分に痛みは分かち合わなくてはならない。しかしその先は、その出来事とは直結しない当事者の新規の一歩、新たな踏み出しに伴走することだろう。
言葉があるとき、その指し示す出来事ゆえ凍りつき、彼の視座は無視され別の判断がお仕着せられても、言葉は多義的であり、どう積み上げ、どうすり合わせても溝は埋まらないどころか、溝の糊塗、亀裂が深まることすらあるのだ。
私は当事者の闇を自覚的に関わることができる意味で、翻訳者になりうると思いつつ、私は代弁者ではないと思う。舟板一枚の地獄の上でひとは幸せを享受している。それを「いかん」という超越者の立場には、私はたたない。しかし亀裂に落ちた方と痛みを分かち合うことを私は厭わないだろう。
カウンセリング活動をしていれば、凍える言葉に囲まれていると言っても過言ではない。では「伝わる言葉」とはなんだろうか。再び私は立ち止まってしまうのだ。
夜間傾聴:入谷さん(仮名)
旗の台君(仮名)
(校正2回目済み)