湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

3/20茅ヶ崎市民活動フォーラム・発表補助資料(部分)より&その他諸々

2005-03-11 05:22:22 | 引きこもり
 余力なし。自学教材ヒント集今回もお休み。入れ物を直しています。

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 3月20日の資料の一次締切りが近づいて、昨日は授業前茅ヶ崎サポセンに、寄って文書を仕上げていました。僕のプリントを作っている横ではサポセン理事さんたちの会議。いや、3月20日の準備大変です。

 今回のフォーラムのパネラー、中西拓子さんの発表補助資料を作っていました。まずは、その一部を転載します。


---ここから---


<3/20茅ヶ崎市民活動フォーラム・発表補助資料より>


●「湘南子どもフォーラム」とは?
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 湘南地域には、様々な子ども支援の活動があります。例えば心身障がい関連団体と、不登校・引きこもり団体、子育て関連団体等の活動は、お互い、案外知らないことが多いと思います。ひとつの場に集まって交流すると、意外な協力の道が開けるものです。緩やかな交流によって、「地域の知り合いの海」をつくることで可能性を拡げる活動です。

 実行委員会をそのつどたてて、交流会などを行います。「懇談会」という世話人会がメーリングリストや月例会で相談しています。



●「多目的喫茶・イベントスペース“ラピュタ”」構想
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 昨年11月の文化祭の中から、引きこもり青年の就労支援と、心身障がい児者の社会参加のお見合いのような活動が生まれました。引きこもり青年に働きがいのある仕事の場と、障がい児者の方々に仕事の場とパートナーを提供できないかと思います。

 せんべい製造販売と喫茶、イベントスペース企画運営を当事者たちの出来ることを寄せ合い、地域交流に結びつけていけないかと懇談会の場で相談しています。スペース適地・資金繰りなど具体的な話もはじまっています。関心のある方は是非ご連絡下さい。詳細は「湘南子どもフォーラム」の展示資料をご覧下さい。



●障がいを超えてピクニック交流しませんか 
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日 時:4月23日(土)10時~(小雨決行)
場 所:相模湖ピクニックランド・デーサイト 10時現地集合
JR「相模湖」下車。湖21/22 系統「三ヶ木」行、「ピクニックランド前」下車

 引きこもり青年の活躍の場を、障がい児者の社会参加と結びつける試みです。試みの一環として、お互いの出会いの機会を企画しました。新緑のキャンプ場で、野外炊事と食事を楽しみませんか。車の乗り入れ環境やトイレなどの設備あり。申込制4月10日締切。詳細はお問い合わせを。


湘南子どもフォーラム懇談会


---ここまで---



 会場展示スペースに並べる資料と、4/23ピクニック参加者募集チラシは、上杉さんが抱えているため、地域の巡回を行う分にゲラ版を印刷した。これで周辺を巡回できる。

 某教科MLが閉鎖になる。会員数1300名を抱えていた。直接は役にしないが常に刺激的なヒントをいただいていた。会員の方々が後継MLを立ち上げて混乱している。調整を切に願っている。
蛇足だが、SOFの自学教材ヒント集は、その10分の1のアクセス数は、あやかりたいものだ。

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今夜もまた、時間切れ。明日は昼間15時ごろに工事を始めます。ぱれいしあさん、関連新聞記事かなにかありますか。

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夜間中学小松川二中の公開研にお邪魔しました

2005-03-11 04:10:20 | フリースクール
 昨日は、夜間中学小松川二中の授業を覘かせてもらいました。帰りが遅かったので作業が押せ押せになり、自学教材ヒント集書庫・湘南子どもフォーラム懇談会HPの両方とも、手付かずの状態です。ぱれいしあさんのコメントも、これから見させてもらう状態です。

 少人数で年齢差、立場が全く異なる生徒さんのクラスのなかで、まなびがどのように成り立っているのか興味がありました。また、事象の関数的表現であるグラフが、どのように理解されていくか見させてもらいました。お誘いくださった理科のT先生、校長先生ありがとうございました。

 まず授業以外のところで、いくつかびっくりしたところから。昼間部の生徒さんが、みな「こんにちわ!」と挨拶するのです。日が落ちてからも「こんにちわ」でしたが…。うーん。僕にとっては不気味です。好きなひともいるんでしょうが。

 夕食の時間が重なるので、軽食を食べてからお邪魔したのですが、なんと夜間部の生徒さんたちが食べている給食をご馳走になりました。ただです。

 いただいた学校紹介のリーフレットをみると、給食費は「無料」となっています。惣菜6品、味噌汁と牛乳がついて、ご飯もしっかり量が入っています。女性だと食べきれない方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 これは大きなことだと思います。一日がどんなに荒れた日でも、ここにくればまずは安息が得られるということです。僕は牛乳が飲みきれませんでしたが、ごちそうさまでした。

 実験用の白衣も支給されるとのことです。(有料かな)教材費・遠足・修学旅行は有料ですが、経済的に困難なひとには就学援助制度があるとのこと。15歳以上なら常時入学可能で、この辺は私塾と似ています。年間で練り上げる形の指導計画なのではなく、単元が基本単位になっているようです。こちらでは都内在住、または都内通勤の方という制限があります。約2週間の試験登校ののち、通学に問題がなければ正式に入学となるとのこと。

 不登校や引揚者・在日外国人の方で義務教育を終えていない方、病気で学齢超過(15歳)してしまった方も、こちらでまなんでいるとのこと。

 簡単な説明を受けた後、数人ずつのクラスに分けられたクラスにお邪魔して授業を見せてもらった後、T先生の理科を参観させてもらいました。

 都の公開研でもあり、某有名理科教材社の社員の方や某大の理系学部の助教授(これから役職が変わってくるのでしたね)の方などがいらしてましたが、大半は中高の理科教員の方々合計30名ほど。

 前半の教室巡回のところで、いくつもの興味深い出来事に出会いました。当たり前だといえばそうなのですが、ここはどんなに小さなクラスであろうと「学校」なのだということです。知識を持った教員が、未修得な生徒に知識を伝授している場なのだということです。良し悪しという意味を除いて、T先生の授業も同じでした。

 黒板に生徒が向かって座り一斉授業を行ったり、机間巡回指導をしているのですが、常に教員の言葉は全体に返されるように語られているのです。これが数名のクラスで行われると実に目立ちます。形式が浮き上がってしまうというか。

 夜間中学の場合、少人数であることを活かして、公私を往復する人臭く暖かい会話が飛び交います。年配の社会経験が豊かな方が混じっていることで、教員の権威性をあまり感じずに授業が進行していきます。Aさんに語られた言葉は、「クラスの」Aさんに語られた言葉なのです。漫才の語り構造と似ていて、Aさんと教員が、Aさんの個別指導のやりとりをしているかのようで、実はその対話を周囲に聞かせている。こういう展開の場面が非常に多く見受けられました。

 8組の授業、N先生の授業が実に面白かったのです。Kさんという年配の方は中国語を母語にしていて、N先生はずっと日本語文法を語りながら、Kさんの発音をサポートしているのです。そのクラスは年配の生徒さん2名。他のひとりが、その個人指導に耳傾けて、自分も分からなかったところがわかると、Kさんの後を追うように発音し、プリントに書き込んでいるのです。つまり、夜間中学は学びたいから来ているひとの集まりだということです。

 他の昼間の授業なら、教員の巡回で他者が指導されているとき、そのことは「自分と関係のないこと」なのです。この一体感が実は私塾よりも濃厚なまなびの時空を生み出しているのです。「うなづき」これがなかなか学びの場に生まれないのです。

 T先生の理科の授業は「蒸留の実験」でした。4つの班に、二人ずつ分かれ実験装置を組み立て、実験し結果を確認します。しかし考察に行く手前で、授業は時間切れ。ただこの実験の最中、わからないことを誰に聞いているかということです。実験手順の疑問は「T先生への質問」の形で行われます。

  「パラソル構造(放射構造)」といいますが、要のところにT先生がいるのです。「学びあい」「教えあい」が統御されているように見えます。

 これは実験器具の接続法がわからないのに、他班を覘きに行かずに、T先生の巡回が来るのを待っているのです。教室の混乱防止や安全のために移動を抑制することはよくあります。しかしここには評価のしやすさという観点が割り込んでくるところでもあります。

 途中、データ・ロガーのソフトが走っているPCが壊れました。情報科の授業でも、これが鬼門。その場で直さねばならないが、直すのは授業中の自分(教員)しかいない、しかし授業が中断してしまうというジレンマです。さすがにT先生は二重・三重に予備装置のガードを張っていましたが、不運にも交換装置も交換したその場で壊れてしまう場面がありました。

 これは経験的な話ですが「機械・電気苦手」を自称するひとには「不運が集中する」のです。その班は、機械故障のため実験中止となりました。

 ここに至るまでの授業のブランクが、興味深いものでした。だれも教科書の図を見ないのです。同じ班でも意見交換の場が生まれないのです。これはグループ指導方針の私塾でも、似た光景が生まれます。実験中止に追い込まれたその班のひとりは、ぽつねんと電子辞書をいじっているのです。Mさんの抱えた虚しさ。これは見ていられなかったのです。不登校の子を相手にしている市井の塾なら、Mさんはもう塾に来ないでしょう。

 実験は失敗のリスクを常に背負い込みます。このとき班の壁がきついと、Mさんの虚しさは誰もが抱え込む可能性があります。教員の指導によって、Mさんを他の班に入れれば、Mさんとその班の構成員との間に、軋轢が生じます。だから初めから話し合って、駆け込みルールを作っておく必要があります。

 クラスの構成が流動的な夜間中学の場合、実験参加者が常に入れ替わることから、ルールが作りにくいことはわかります。でも不登校の子の虚しさに向かい合う者として、先進的なデーターロガーの導入のことより気になりました。

 このブランクの時間、他の班では実験法のわからなさを抱え、先生がくるのを待っているシーンが複数見られました。フリースクールでは見ることの少ない光景です。「学びあい」「教えあい」は、立場のばらばらな夜間中学では成り立たないことでしょうか。

 Kさんの文法の学びに生じた同調、食事の場面の参観教員たちに物怖じしない生徒さんのタフさ、糸口を探るような耳の開放など、学びの生の切り口があちこちに脈打ち、ふいに響き合う様は、水鳥の足のように、水面下で知が躍動していました。それが内発的な学びの欲求へと結びつき、単元をはみだすことはないのだろうかと思います。そのはみ出した語りを聞いてみたいのです。今回見せていただいた授業の様子からは、奇妙なほど知識伝授型の授業様式が守られていて、指導要領の縛りはありつつも、部外者には見えない場面が、私事としてブラインドされているように思いました。夜間中学なればこその学びという部分です。

 ひとりの生徒さんに語り続けている授業、勇気付けるような内容の英会話教材で、ぐいぐいとリードしている授業、2名の生徒さんの真後ろから包み込むように語りかけ個別指導している授業、挙手・指名の手順を踏まず突然個別に語りかけていく授業。T先生のような変化の可視化のような高度な認識を大胆に要求していく授業など、非常に個性的な授業が行われていました。

 授業終了時、参観者の質疑応答の時間がありました。僕は学校制度の外側に身をおく者ですから、まなびそのものを問いました。しかし他の方はデータ・ロガーの可能性の話をしておられたのです。Mさんたちの事を語るのはタブーなのでしょうか。沈黙がちょっと気になりました。

 ここには無料の給食があります。出発点を持っているところは強いなと思いつつ、「学校」なんだなあという印象を抱いて帰ってきました。

 いい経験になりました。T先生ありがとうございました。厄介な奴と思わず、また公開研をお知らせください。

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