湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

湘南子どもフォーラム、今日から巡回開始…なるほど雪がふるわけで

2005-03-04 05:23:21 | 引きこもり
 ネネムの篠さんとメールを交換した。軟らかな発想の人だと思う。僕とほぼ同世代であることを知りなんとなく、視点の癖のようなものが納得できたような気がした。対立点もうっすら見えるので、どこかで一緒の仕事をしてみたくなった。篠さんは自然律の中に身を委ねることを考え、僕は自分とひと・ものの間に膨らむ闇を鏡にしている。面白いなと思う。

 今日は送られてきた自分の学習用の資料をまとめようと、ホチキスの格闘をしていた。コピー枚数が多いと針が通らない。しかしなにやら受験生のようなノルマの焦りがじわりとつま先からあがってくる。珈琲を飲んだり逆立ちしたり、アホである。複数収入なので青色申告。これまたじわり。こういうときは、没頭するに限ると、今回は「ヒント集」3つ。しょうもないはなしだが、ご覧あれ。改訂版である。

 明日、藤沢のカフェ・ドゥ・そうじゃんと、推進センターを回って、ろうきんのNPOセミナーに出る。資金繰りのセミナーである。苦手中の苦手。

 自営のA子の母親から電話がかかってきた。法事、なるほど家族旅行である。用もないのに余計な電話をしてすみませんと丁重に謝った。

 高校時代の友人は、時代の闇に耐えられずにアル中になって、身を持ち崩して消息を絶っていた。1週間ほど前、新聞の投稿欄に彼の名前を見つけた。生きていた。それだけで妙にほっとするのだ。篠さんの場合も然り。ということは、ぼくも時代のしがらみを引きずっているという証拠なのだが、そこに居直りたくないのだ。

 アンガージュマン・よこすかから交流会の誘いメールがあった。町田の授業日。しょうもないなと開封していない青色申告書の封筒小脇に、資料の束をまとめているのだ。
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自学教材ヒント集に《測地線ドーム作りから考えたこと・前》を載せました

2005-03-04 04:38:16 | フリースクール

--- 今回は以下の教材の解説です。

●自学教材ヒント集《測地線ドーム作りから考えたこと・前》




 「レシピ」つまり「作り方の手順書」は、読者に簡潔に、「勘違いを起こさせずに『作り方』を伝えること」を目的にしている。ところが実際に作ってみると、その説明だけではわからないグレー・ゾーンが現れる。このグレー・ゾーンは実際に作業・または作業を追うことによって立ち現れてくる。

 ここを事前に書き連ねればすべて潤滑に作れるというものではなく、どうしても体験をくぐらなければ調整がつかないところに、「作る」という行為の本質的なものが潜んでいる。

 しかし、それでもなお作業法の補間を促してくれる先達のガイドがあった方が、問題の解決は早いし高みに至れる。独学は不可能ではない。しかし書(テキスト)や類似の作業の模倣をするという(批判的に盗む)ことによって、学びは加速深化(または高度化)する。

 共通の実践を前提にした学びは、学校教育の中では芸能教科を除いて、分断されたモジュールの中でしか登場しない。現代では手仕事上の中に追い込まれてしまったこれらの知を「実践知」と呼ぶ。

 「実践知」のための「補間ガイド」の試みは「ものづくり」を媒介に行われている。それだけに個別的であるが類似の場面に転用しうる柔軟さを持っている。それを基礎付けているものが「体得」という抱え込むわかり方である。本質の抽象をもって媒介するのとは違う「転用可能」という柔らかな場面適合性に富んだ獲得法なのだ。

 建造物の工学シリーズの書のなかに登場する建造物模型は手先の器用な小学生以外の大多数の子の手には負えないだろう。「作業の細かさ」という困難であれば、それは大人とて得手不得手の人がはっきりと出てくる。しかしここで問題になるのは「作業予測を必要とする困難」なのだ。

 ここを補完しつつ、「実践知」の姿を垣間見ようという試みと理解されたい。民芸品作りの中で登場する方法は織物の下絵作りだったと記憶している。部族名が曖昧なのでお断りしておく。しかしここで行われた比例配分には計算が登場しない。計算で解を求めて決める、つまり「解決」は文化の位相の中にある。実践はこうした文化の差すら孕んでいる。認知科学の状況認知論に関係してくるが、今回は深入りしない。

 ただ小学校のとき、苦労した比と比例が作業の場面設定の中では、試行錯誤というクッションを得て獲得される。理解の過程が自分の道と時間が保障されることによって体得可能性が広がるのだ。「やってみりゃわかる」というそれである。

 アン&スコット・マグレガー両氏には悪いが、本の構想の面白さに反して、模型教材としては練れていないと思う。だから逆に利用させてもらったのだが。次回は場面に入っていく。
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自学教材ヒント集に《測地線ドーム作りから考えたこと・後》を載せました

2005-03-04 04:35:17 | フリースクール
--- 今回は以下の教材の解説です。

●自学教材ヒント集《測地線ドーム作りから考えたこと・後》



 測地線ドームの製作法の解説には、使用するストローの本数からモールの数までが、事前に提示されている。建造物を作る手法と同じく完成モデルがあって、製作過程は「そこに上り詰める経路」と位置づけられる。芸術の製作活動における「抽象の試行錯誤過程」とは様相を異にしている。

 後者は作業を通して素材と対話しつつ、素材を形作り自らのイメージも、霧の中から浮かび上がらせ凝固させていくのだが、前者の到達点はあらかじめ固定されている。

 では前者の製作過程における「創造」とは何かということだ。頂上への登山路は様々ある。その「経路選択」なのだろうか。「製作の効率化」なのだろうか。

 迂回せずに、より早く山頂に至ることに価値をおけば、基準からはずれた道は淘汰されていく。完成度の競い合いも敗者を無価値にしていく。これらを合理性と呼べば、工学の創造は、合理性を追い求めることに創造性を収斂させるのだろうか。

 製作法に従って作業を行うものは、その対象についてビギナーなのであって、指導者と製作者、テキストと製作者の間には「教授」の不均衡の関係が成り立っている。製作中のグレーゾーンは、合理性の基準によって「無知の闇」に落としこめられてしまう。二度三度と反復して同じものを作り上げることの中でしか、この不均衡は解消しないであろう。

 もしこれが「飛田さんのドーム」というような唯一無二な固有名詞を冠するものの製作であるなら、不均衡は影に退く。「いま・ここ」で作られているという状況の刻印を考えれば、固有名詞の意味はさらにはっきりする。すべての製作物は唯一無二であるはずだ。そのラベルをはがして、「製品」というのっぺらぼうにしてしまう。つまり「商品生産のシュミレーション」として創造性は侵食されているのだ。これを超える道はないのだろうか。

 前編で僕は「書(テキスト)や類似の作業の模倣をするという(批判的に盗む)ことによって、学びは加速深化(または高度化)する。」と書いた。学びと創造は併存することができないのだろうか。「模倣」は高級な知の活動である。だからそれを「創造」と同義として言いくるめるのだろうか。(これは学校教育の闇でもある。)

 ドームの頭頂部をヘリコプターによって運び込むという空想の話を前編で書いたが、「無知の闇」と片付けられてしまうダーク・ゾーンの存在を積極評価すべきなのだ。遊びに効率の基準が存在しないのと同様に、さまよう事を排しない実践はありえないだろうか。

僕はイタズラによる攪拌を評価している。撹乱と言えない中途半端さは認める。視点の転換は目的をずらしたり、他者と製作を行うことによってもたらされる。しかし独学の中でも脱線という手があるのだ。

 ストローを正10角形に閉じていくとき、ゼム・クリップの向きによって土台の図形は安定した形にならない。最初からクリップを使う人はここで戸惑うし、20面まで三角形を組んできたとき、三角形が土台の円の内側に折り込まれて、そこに四面体トラス構造を発見するだろう。ドームの骨組みに働いている力は、表面に分散して流れていく力というより、アーチ構造のように、ドームの内側にも働いている力が打ち消しあって中空を支えていると言ったほうがいい。その省略可能な内側の骨格が瞬間立ち現れるのだ。

 作業の途中で立ち止まってそれを考えることも意味がないことではないだろう。作業場色分けした骨格がドームの規則性を引き出したり、クリップの集中する頂点の作業が、頂点の種類の違いを引き出したりする。そこにフラー・ドームの特徴の五角形を見ることもできるだろう。

 つまり作業と鑑賞は機械的に分離するものではなく、未完成の形の中に様々なものを見るのだ。他者の対話が入る事は創造にとって大事なことであるが、作業するものは素材とも対話しているのだ。その隠された対話がしやすい対象が良質の教材といえる。

 失敗すれば反復やり直しが効き、様々なインスピレーションに富んだ製作実践は数少ない。そしてその作業に対して先達が語る言葉と関係はどのように成り立つのだろう。グレー・ゾーンからの手引きとなり、過剰誘導とはならないあり方は程度の加減なのだろうか。原理的な差を持った関係のキーワードは、「失敗を含んだ実践談」・「遊び」だろう。
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自学教材ヒント集に《ストロー素材とテンセグリティ構造体》を載せました

2005-03-04 03:57:19 | フリースクール

以下は教材ヒント集の解説です。

●自学教材ヒント集《ストロー素材とテンセグリティ構造体》
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=tobipub2


今回は「骨組み立体(スケルトン・モデル)」作りの話だ。工作用紙を切って立体作りをしたことがあるだろう。展開図を切り抜いて貼り合わせて立体を仕上げた。このとき、関心は立体の表面にある。ところが骨組み式に針金とか、割り箸で立体を作っていると、関心は立体の輪郭(りんかく)に向く。

正四面体を作ると安定している骨組みが、立方体だと歪んでしまう。表面をみていただけではわからない、その立体の形を維持する力、剛性に気づく。立方体は水平の力に対して弱い。トランプを横から突いたような状態になる。ところが正四面体は、外圧を分散して受け止めて形が崩れない。この性質(トラス構造)を使って建造物が作られている。

前にパスタを素材に「橋」づくりをしているアメリカの実践を紹介したが、ストローでも強い形の実験が出来る。ストロー正四面体を組み合わせて建造物を作る近畿大学工学部の基礎造形授業を今回紹介するが、この方法は、Bernie Zubrowsky の児童書によって日本に紹介されたものだ。ズボルフスキーはハンズオンで有名なボストン子ども博物館のディベロッパー、教育開発センタープロジェクトディレクターをしていた。活動は多岐にわたっているが、日本では「さ・え・ら書房」の科学読み物によって、その活動の一端を知ることが出来る。

ストローのジョイントにゼムクリップを使うという画期的な方法によって、ストローは使いやすい素材となった。これによって立体作りが小学生にも容易になった。一見地味な仕事だが、教育の場には影響の大きな仕事だ。

このストロー骨組み立体は、トラス構造とは異なる原理の、張力安定性を持つテンセグリティ構造にも相性がいいことが湘南の教材研究の中でわかった。フラーの発見したこの立体のモジュール(基礎部品)を積み上げることも可能になった。

三角柱の骨組みをねじるとぴたりと形が決まる。まずは作ってみてほしい。また立方体の中心に結節点をおき外枠の結節点8点と結んでみて欲しい。また正十二面体や正二十面体にも挑戦してもらいたい。
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