日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

冷たいが洗車

2022年02月08日 | 生活・ニュース

 最近はコロナ禍の自粛もあって遠乗りもなく車はさほど汚れることは無い、それでもと昨年末には1年の感謝を込めて念入りに洗車した。と言っても、我が家の車庫で水とブラシで洗い流す何十年と続く我流洗車、特に寒い時期には洗車機でと勧められるがいまだ利用なし。

 今朝のこと、窓に小さな油滴や埃、屋根には鳥の残糞がべったりとついている。そこでいつもの我流洗車となった。昨日よりは2度くらい高い気温に助けられ丁寧に洗車した。洗車の時は見ても分からないエンジンルームを見る。と言っても埃を拭き取り、ブレーキオイルやウオッシャー液の液量を確認するくらい。今日は枯葉が1枚侵入していた。

 何年か前の下取り査定のときの話し。査定終えたて下取り価格はこれこれと示しながら「丁寧に乗ってもろうてるので精一杯の査定をした」という。誰にでも同じことを、と笑うと「そんなことはない」といい、エンジンルームの状態も一つの判断材料になるという。嘘か真か、ということで洗車のたびにボンネットを開いてみているが、何台かの下取りはそれなりに納得している。

 リヤガラスに「GLASS COAT」そして「NO WAX]と小さなステッカーが貼ってある。半年後に車検が近づいているが、新車の時よりは劣るものの、今も雨滴はするりと流れるし、洗車の時もあまり手がかからない。初期投資の成果かと思っている。
 
 (今日の575) 糞害に憤慨しつつ洗車する
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母の最期

2022年02月07日 | エッセイサロン
2022年02月07日 毎日新聞「はがき随筆」」掲載

 コロナで亡くなる人は、身内の誰にも会えず、気の毒に一人で旅立ちをされると聞く。
 母の末期を思い出した。入院の日、付き添い一人が許されたが、面会謝絶の赤い札がドアに掛けられ何日かが過ぎた。1日3本の点滴が2本、そして1本になった日「会わせたい方があればどうぞ」と赤い札が外された。意識のない母を身内だけで見舞った。
 そんな母の手をさすっている妻の手を母は握り返した。「同居の嫁にみとってもらう」という母の願い通りの臨終だった。
 思えばいい旅立ちをした。36回目の年忌がやって来る。


 (今日の575) 妻読みてしばし瞑想目が潤む 
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秋に備えて

2022年02月06日 | 自然 季節

 TVの気象予報で全国の気温分布を見ると、冷凍か冷蔵かに区分けされてはいるがとにかく冷蔵庫の中に入っている。15時ころの我が家のガレージの気温、冷たい風が通り過ぎているが2.5度、ちなみに7時半頃はマイナス4度だった。いつもなら出勤時間だが日曜日で静かな裏通りだった。

 この寒さは予報通りで、雪国の積雪がコロナを置いてニュースのトップになっている。除排雪の映像を見ると、豪雪という言い表し方では理解できない並たいていでない苦労が伝わる。出勤途中の人がインタビューに「帰りが心配です」と答えていたが、その心配はいつまで続くのだろうか。

 この寒い時期だが、目には見えないが粛々と庭の隅で働いているのは彼岸花に似たリコリスの葉。リコリスは彼岸の頃に咲き、彼岸花と間違えやすいが、それより見た目は少しあでやかに咲く。花が終わり秋になると葉が地面から覗き伸び始める。葉は日ざしを受け養分を球根に送りその勤めを終え枯れていく。養分を蓄えた球根は秋に花茎を勢いよく伸ばし花を咲かせる。

 花は葉を見ず、葉は花を見ず、互いにその繰り返しでそれぞれの生涯を終える。多くが休眠している厳寒の中で、わずかな冬日を受けて命を受け継ぐ、そこでつけられた名前が相思花、いい命名だと思う。緑の少なくなった周囲でリコリス葉の色は目につく。さて、今年はどんな花を見せてくれるのか、冷たい風に揺れる葉を見ながら思う。

 (今日の575) 冬日受け出会えぬ花に生つたう
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ローカル線の先行き

2022年02月05日 | 社会 政治

  地域産業振興のため、大工事のため、観光のため、農産物運搬のためなど、時々の要請により全国に鉄路が巡らされた。しかし、時代の変化で用途の消滅、新たな交通手段の登場など廃線となった路線が幾百とある。廃線と言えば黒煙と汽笛と大きな動輪の蒸気機関車が浮かぶ。そんな廃線となった路線のかつての姿を紹介する番組がある。

 それはNHK で「10分で巡る にっぽんの廃線」という番組がある。北海道から九州まで長い日本列島の中で数㌔から百㌔をを超えるローカル線の姿は、今の日本の発展を造り上げた基になっている。そんな路線ごとの姿を短い時間ではあるが紹介する。当時の生活が忍ばれ楽しみに見ている。アーカイブには路線ごとの映像が無料で見れるようになっている。

 報道によるとJRは採算面から廃線を検討している路線はいくつもある。それはローカル線の現実の姿なのだろう。かつては山陽本線の一部として役目も担ったが今はローカル線となった岩徳線も検討対象の一つらしい。子どものころには蒸気機関車が客車を7、8両連結していたが、今はジーゼル車1か2両くらいに利用者は減少している。

 岩徳線を走る車両を見ていると、アーカイブに載らないで走り続けてと願うが、じゃあ利用しているかと問われると、申し訳ないが退職後は数回くらい利用しただろうか。下りの1番列車は我が家のそばを5時8分頃に通過する。その音を聞くと「今日も始まった」、そんな節目を感じさせるローカル線だ。

 (今日の575) 輸送量あげれば返上ローカル線
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立春の朝

2022年02月04日 | 地域

 コロナ感染者が1日で10万人を超えた節分の日、コロナ蔓延の早い終息を願い「鬼は外、鬼コロ消えろ、福はうち」と豆まきの家もあったのではと思う。有名寺社の豆まきも時短に参加者制限など2度目の寂しい節分だった。新聞販売店のサービスと恵方巻の伴をして来た2袋の豆で、節分を過ごした。

 ブログに何度か書いたが、子供のころに祖母から聞いた節分の話し。「節分の豆を歳の数だけ願いと一緒に紙に包み、誰にも見られれぬ様に四辻に置き、振り返らずに立ち去る。すると願いが叶う」。小学校へ登校途中のどこの辻にもいくつもの紙包が置かれていた。それを踏まないように注意しながら歩いた。

 ここへ住まいして28年目、家の前は小さな辻になっている。ある年の立春の朝、辻にいくつかの紙包を発見し、占いの生きていることに驚いた。しばらく続いたが、それからは間断状態が続いている。ところが今朝5時過ぎ、大きな包みと小さな包みが辻の中央で並んでいた。数年ぶりではなかろうか。願いは入試合格、それとも早く消えてコロナ・・・、立春の朝のいい出会いに心温まる。

 しかし、社会が動き始めると、包は車に押されて紙は裂け豆は砕けていく。はた目には願いがつぶされていくように見えるが「しっかり叶いますよ」、昨夜からの動きを見届けていた明るい街灯が保証してくれる。

 (今日の575) 鬼はそと鬼コロ消えろ福はうち
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鬼と人の関係

2022年02月03日 | 生活・ニュース

 今日は鬼の厄日。辞書で「鬼」を引くと何十という説明や解説が載っている。そのひとつ一つにそれなりに納得をすることを自分でも不思議で、面白いと思う。解説に載っているような鬼を見たことは無いが、演じたことはある。それは小学4年の時、学校創立80周年記念の文化祭で「泣いた赤鬼」の青鬼役、青鬼の面をつけ青の服を着て登場する。

 セリフは1回だけ。大声で「鬼だあ、鬼だあ、暴れん坊の青鬼だ~あ」と夕食時の村へ出て、赤鬼との打ち合わせ通り暴れる。赤鬼が登場、青鬼を懲らしめて追い払う。赤鬼は村人と楽しく過ごす。ふと、青鬼を思い出した赤鬼が訪ねると「遠くへ旅立ちます。いつまでも村人と仲良く」の置手紙に赤鬼が「青鬼く~ん」と叫んで幕。

 「鬼が住むか蛇が住むか」「鬼が出るか蛇が出るか」「鬼が出るか仏が出るか」、これらは人の心の底にどんな考えがあるか、前途にどんな恐ろしいころがあるか予想できない、前途の吉兆や運命がはかりにくいなど、人の気持ちを左右するときに使う。してみると人と鬼との縁は深そうだ。「来年のことを言うと鬼が笑う」、これはよく使う。出来もしないことを言うな、とからかうことだが、鬼はお見通しということだろうか。

 有名なところでは、子どもも知っている桃太郎の話しのように、鬼はいついかなる時も退治される。世の中には治世を乱す者がいる。ドラマなら必ず罰せられたり滅ぼされたりで幕となる。現実はそうではないことが多々ある。まず、政治の世界から嘘や隠し事をなくすことが世の鬼退治になる。

 (今日の575) 反省か鬼の上司の目が潤む
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遺失物

2022年02月02日 | 地域

 散歩していると落とし物に出会うことがある。寒い季節になると手袋はよく見かける。歩くと身体が温もる、すると手袋を外す、その時にポケットにうまく収まらず落としてしまう、のではと思う。見つけるとそばの見やすいとこれへ掛けて置く。次の時に見えなければ持ち主に戻ったと、他人事ながらほっとする。

 今日は、手袋が雑木の切り枝にかけてあった。見た目はまだまだ上等な感じ、落とし主は誰だろうと思いながら撮っておいた。コロナ禍になって、それまでほとんど見かけなかったマスクがよく落ちている。着用していれば外れたことはわかるだろうが、道路にマスクは要らない。ただ、コロナ禍のマスク、これには手が出せないでいる。

 遺失物とは「落とし物、忘れ物」だが、法的には「占有者の意思に基づかないでその所持を離れた物で、盗品でない物」と説明がある。小銭を落としたと気付いたことはあるが、値打ちな物を忘れたり落としたという記憶はないのは、大したものを持ち歩いていないからだろう。

 ネーム入りの運動着が我が家の壁沿いに数着、それは捨てたというより置いたという感じ。もしや盗品かも、そう思い交番に連絡した。警官は「拾得物とされますか」と問うので意思のないことを返事した。写真撮影し運動着はパトカーへ。物を落としても忘れても、細かいことで手間暇がかかるようだ。物忘れを笑われない世代にいる、気を受けよう。 

 (今日の575) 拾えない道に落ちてるマスクさん
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駐車場の安全柵

2022年02月01日 | 生活・ニュース

 連日、高齢者の起こす交通事故が報道される。最近はドライブレコーダーの普及で、事故の状況がハッキリ映像に残されており胸が痛むことがある。事故当時者には申し訳ないが、映像から自分の運転について反省や今後の安全運転の参考になることを学ばせてもらっている。

 そうした事故の一例として、アクセルとブレーキの踏み間違いによる事故がある。急発進で歩道や道路に飛び出したり店内に飛び込んだりなどがある。1度、バック駐車している乗用車が車止めを乗り越え、目のまえに飛び出してきた。2歩早く進んでいたら私は当てられるところだったが難を免れたことがある。話に聞いていることが現実に在ることを知った。

 ひやりとしたその駐車場に、万一、車止めを超えた時の事故防止になる安全柵が設けられた。柵は太いパイプで駐車スペースごとに設けられ、少し狭くなったが歩道側の安全は増した。ここで、ひやりとしたことがあるだけに企業側の対策に敬意を表したい。

 「ドライバーは、安全で快適な車社会を作るため、他の運転者や歩行者のことを考え、人にやさしい安全運転を心掛けねばなりません」。これは運転免許更新時の講習資料の初めに乗っている。自分勝手な行動は事故になる、と法令にのっとった運転を呼びかけている。被害者にもなりたくないが加害者には絶対にならない、ハンドルを握るとき心しよう。

 (今日の575) 身を守る道に見合ったその速度
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