日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

蚊っとばし

2015年06月20日 | 生活・ニュース


 メカに詳しい人のブログで知った商品。購入先を聞きすぐに求めた。商品のケースには、今すぐ退治してしまいたい虫をバッチと一撃で駆除できる優れもので屋内でも屋外でも大活躍の「蚊っとばし」。「静電気を利用して虫を簡単に退治できる画期的な商品」とメーカーは自賛する。さらに、蚊取り線香や殺虫スプレーのように空気を汚さないのでお部屋の中でも安心して使える。

 先のブログで構造や使用方法は一応理解してホームセンターで購入した。形はテニスラケットに酷似しているが少し小さい。グリップを握り振ってみるとあの錦織を思い出す。ガットの部分は3層のネット状で真ん中は金属ネット、外側は安全カバーになっている。電源は単3乾電池2本、グリップのボタンを押すと金属ネットに通電、蚊などを殺すことができる。

 試しは庭。植木鉢の花に触れると潜んでいた蚊が何匹も飛び立つ。そこに通電して準備できたラケットを振る。1度に数匹の蚊が高圧電流の放電により御用となった。本製品はおもちゃではありません、という警告文に納得する。

 これまで屋外の蚊をまとめて仕留めるのは難儀なことで追い払うだけで済ませていた。ラケットを振るだけで確実に屋外の蚊の数を減らすことができそう、早まるなといわれそうだがそんな気になる成果を実感する。網戸の外側で侵入を伺っている蚊の数が減少し、殺虫剤の購入が少なくなれば1本540円のラケットは家計に貢献する。ひと夏の成果はまたの日に。
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芭蕉の花と実

2015年06月19日 | ウオーキング 散歩


 葉のよく似ているバナナとバショウ(芭蕉)の違いは「実のなるのがバナナと思えと教えられ納得した」という。子どものころバナナは縁遠い豪華な飾り物だった。一方、芭蕉は身近にみかける水分をたっぷり含んだ大形の植物だった。分類上は両方ともバショウ科バショウ属の大型多年草で親戚になる。江戸時代の俳人・松尾芭蕉は深川の自宅の庭にあった芭蕉から名前を芭蕉としたらしい、という。

 冬の枯れ芭蕉は物の哀れを誘う。ところが春に目覚めるとその成育には驚かされる。夏には見上げるほどの高さになり、大きな葉を風に揺らせる。この大きな葉は破れやすいことから庭に植えることを嫌って庭忌草という別名で呼ばれる。

 庭忌草というがこの家では10数本の芭蕉が垣根越しに見える。見上げるとそのうちの1本に花と実が揺れる葉の隙間から見える。芭蕉は身近にあり珍しくないが、花と実を見るのは久しぶり。隣家の駐車場に少し踏みいれて花と実を狙うも風が強くなかなかシャッターが押せない。これほど粘って撮ったのは久しぶりだ。

 芭蕉の思い出の一つに岩国寿司がある。子どものころ、親戚が集うときには両親が分担し5升つけの桶に5段重ねの岩国寿司を作っていた。各段の仕切り、これは地域によって異なるようだが我が家では芭蕉の葉を使っていた。鮮やかな緑の葉に白い寿司飯が広がっていくのを「ごっそうが食べられる」と喜んで見ていた。四季を通して寿司の食べられる今、あの頃の喜びと楽しみは通じなくなった。そんなことを知る由もない芭蕉は気持ちよさそうに風になびいている。
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蜘蛛の巣

2015年06月18日 | 自然 季節


 朝顔のおろぎの代わりにネットを張っている。ネットは縦横ともに18分割で、1区画は縦横10センチほどの大きさで樹脂製の紐で編まれている。ネットを張って間もなく、それを待っていたかのように蜘蛛が巣を掛けはじめる。蜘蛛の種類やその名前は知らないが、胴の長さは数ミリもない大きさ。こんな小さな蜘蛛がどこからどうやってたどり着くのか不思議に思う。

 こんな小さな蜘蛛でも綺麗な網状の巣を張る。そうしなければ生きていけないことをこの小さな体は生まれながらにして知っていることが人とは大きく違う。体に似合った網状の小さな巣にはそれに見合う小さな虫が掛かる。最後まで観察はしていないが、掛かった小さな虫の姿が消えているので餌になったのだと思う。

 邪魔になるでもなし観察にと放っておく。そこに巣破りが現れる。それは左巻きで下から伸びてきた朝顔の弦、容赦なく巣の一部を破壊する。しかし、その程度で巣は壊れることなく餌狩りの場として存在する。複数の弦に壊され耐えかねるのか空き家になっていくのは自然界の慣わしだろう。

 数日前から白い体で羽のある虫、それは蜘蛛の3倍くらいの大きさが掛かっている。掛かったままゆらゆらしているが餌にはしていない。大きすぎるのか、嫌いな餌なのかなど分からないが折角の獲物を放置するにはそれなりの訳があろう。10個ばかりある蜘蛛の巣、その観察は面白そうだが、ジッとしている蜘蛛との我慢比べには勝てない。ネットから離れるときまで仲良くしよう。
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初咲き

2015年06月17日 | 生活・ニュース


 ここ何年か、花が終わると採種して保存、翌年の春に種蒔き苗を育て定植する。こう書けばいかにも大仕事のように思えるがそのお相手はアサガオ、プランターへの移植なのでさほどのことはない。この時期は土の表面の乾きもさほどでもなく手は掛からない。移植すれば勝手なもので「いつ咲くか」と無言の圧力を毎朝かけている。

 圧力に応えようと弦はせっせと左巻で伸びる。子どものころつむじについて「お前は左巻き」など現在なら重大な事件になることを言ったり言われたりした。その意味は何となく分かっていたと思う。頭皮の見える今はそのつむじは消え自分は左右どちらか分からない。方言かもしれないが子どもころはつむじのことをギリと言っていた。

 毎朝の責めに耐えながら満を持したかどうかは分からないが雨に濡れながら2輪が今年の1番咲き。青紫のいい色合いに今年の咲き具合のいいきざしを感じる。夕方には赤く色変わりしてしぼみ勤めを終えた。

 葉の付け根に多彩な色のラッパ形の大きな花をつける。採種のときこの花の種、あの色の種などの区別のないままに採種している。全部同一の色、ということもあり得る。それはそれでまた面白い結果だ。何種類の色の花が見られるか神のみぞ知る。
 
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来年に期待

2015年06月16日 | 地域


 梅雨のこの時期に咲く代表的な花はアヤメ科の多年草花菖蒲。野生の野花菖蒲を原種とし改良された国産の園芸植物と載っている。そして葉が菖蒲に似ていて美しい花が咲くことから「花菖蒲」と呼ぶとある。その歴史は500年も昔にさかのぼる。

 県内最大規模という花菖蒲園が錦帯橋近くの吉香公園にある。それは剣豪・佐々木小次郎像の側から一望できる「吉香花菖蒲園」と日本庭園そばにある「城山花菖蒲園」の二つ、先日「錦帯橋 花菖蒲まつり」がこの二つを会場で開催された。合わせて140種類、約11万株の紫や白、青色などを楽しむことができますと観光振興課のFBに写真入りでアップされていた。

 今年の花菖蒲はどうしたのか。花に艶と勢いが感じられない、背丈が例年になく低い、花数が少ないなど思いながら撮っていた。背後から「今年の花はどうしたのか」という声、振り向くと高価に見えるビデオカメラを持った男性が一人。聞くともなしに会話になった。一昨年、昨年の花が見事だったので今年も撮りに来たという県外の人。同じ感じの人がいるのだと思いながら、観光売り物の街の住民としては「すみません」というしかない。花に非はない。

 花菖蒲は多年草で冬場に地上部分は枯れて春になると芽をだし出て花が咲く。「3年ごとの植栽作業が行われる来年を楽しみにしよう」と城山菖蒲園で物知りな知人が声をかけてくれた。株分けでもらった紫の花が雨に濡れながら2輪目が今朝咲いた。
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青虫の芸

2015年06月15日 | 生活・ニュース

 農園は雑草が伸び放題で畑を覆い隠している。1カ月ぶりだから仕方ないかと思いながら草ぬきをする。すると「1週間のご無沙汰でした。玉置宏でございます。お口の恋人、ロッテ提供『ロッテ歌のアルバム』、こんな音楽番組の冒頭を思い出した。市内ではTV電波の届かないころと思い調べると1958(昭和33)年5月放送開始で毎週日曜日のお昼とある。まだ高校在学中、ラジオだから今も耳に残っていたのだろう。

 先月はこれほどの伸びではなかった。陽ざしと雨と芽生えの季節、肥料を必要としない雑草は我が世の春とばかり思いきり生きている。たくましい生命力の例えで「雑草のように育つ」と使われる。また、同意だろうが「雑草魂」「雑草根性」など穏やかな人生では身につかなかった根性などを意味する言葉で、人間を環境が悪くても枯れにくい雑草にたとえている。雑草と見くびってはいけない。

 雑草の根性示す根は縦に深くまた浅く、横に広くまた狭くそれぞれに似合った形で錯綜している。水耕栽培の野菜のように均一な根は自然界では無理だ。人も同じでいろんな個性が交叉し、それに損得勘定が絡まるところから争いが起きる。雑草は抜いたり刈り取れば一応はおさまるが人の世界はそうはいかない。

 青葉を好む虫たちの振る舞いも雑草に負けず劣らず、人のいないことを機に野菜をむさぼった跡が残る。虫や鳥などが野菜を食い荒らすことを「食害」と言うが、葉の硬い部分を残し食べあげた跡はお詫びに虫が創った芸術かと眺める。そうしながら無農薬農家の日々のご苦労におもいをはせる。
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足の向くまま

2015年06月14日 | 生活・ニュース


 気象予報士の「お出かけ日和」という言葉に促され散歩に出る。散歩は歩くことではあるが「いつまでにどこそこまで行く」などという課題は無く、好きな方向に好きな歩幅で歩いて時間や風景、思わぬ出会いなどを楽しむことと思う。いつだったか「散歩は贅沢な時間の過ごしかた」と聞いた。歩く結果として健康がくっついてくれば幸いだ。

 散歩の道すがら目にして「おやっ」と感じたものは撮っておく、それをいつかブログに書いたり投稿の題材にするなど楽しみが膨らむ。投稿が載ればその日一日はいい気持ちで過ごせる。足の向くまま気の向くままに任せる散歩の付録に掲載があるようだ。

 車で行くほどでではないので自転車で出かける。それがいつからか「歩いて行ってみよう」に変わった。そのきっかけは思い出せないが散歩を兼ねて歩くようになった。このときの行先は決まっているが、年金生活の身なれば課題という程の重い荷を背負って急ぐことではないので、回り道も寄り道もしている。

 亀が甲羅干しをしている。雨の合間の甲羅干し、亀たちには万年もの長寿を保つためには欠かせない日光浴になる。お堀の水面の緑色が陽に照らせて白く輝く甲羅をひときわ映えて見せる。昼寝でもしているのかピクトもしない姿に安らかで穏やかな堀の中が伺える。木陰でじっと見ていると心地よくてうたた寝しそうになる。さてどちらに足を向けようかと立ち上がる。
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唱歌 ふるさと

2015年06月13日 | 生活・ニュース
 
 ♪ うさぎ追いし彼の山 こぶな釣りし彼の川 夢はいまもめぐりて 忘れがたきふるさと

 これはよく知られた唱歌「ふるさと」、作詞者の高野辰之は長野県、作曲者の岡野貞一は鳥取県だがそれぞれの故郷への思いが込められているから100年以上に渡って日本人の心に響く曲になっているのだろう。東日本大震災以降は、被災地の人だけでなく広く国内で歌われる。被災地皆さんの復興した故郷に再び帰れることを願う思いとそれを応援する人の気持ちが繋がっているからだ。

 この唱歌には、太古の昔に私たちの先祖が創りだした日本固有の言葉である「大和言葉」が歌詞のすべてに使われているから心に染みる曲になっている。「山」「川」「夢」「ふるさと」みんな大和言葉という文章を読んだ。大和言葉が日本人の心に染みるのは、日本の風土の中で生まれた言葉だからと説いてある。歌詞の終わり「ふるさと」を「こきょう」に置き換えると違いが分かる。

 日本語の単語は「大和言葉、漢語、外来語」の3種類がある。漢語は中国から伝わった言葉で「山地」「河川」など、音読みで発音される。訓読みが大和言葉となる。外来語は中国以外から来た言葉でカタカナ表記が多い。ことの初めを大和言葉では「はじめる」、漢語では「開始」、外来語では「スタート」、こうしてみると3種類の違いが分かる。

 大和言葉には「心に沁みる特性」がある。稚拙なブログでもほんのわずかでもそれを取り入れて「お、かっこいい表現だ」と感じてもらえるようになりたい。最近の造語やおしゃれに見える外来語の氾濫に押されて日本語自体が忘れられている。大和言葉はこれからか学ぶとして、まずは日本語として間違いのない文を綴っていきたい。
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里山の野生化

2015年06月12日 | 地域


 開発に着手前のころ「小高い丘に拓かれた団地」と言われた市内では歴史を刻んだ団地。その団地へ鉢巻をしたようなバイバスが完成し便利になった。そのバイバス周辺にサルの群れが現れ目を疑ったというブログに出合った。10年もすればサル山になるのではと心配されている。

 写真セミプロの知人から吉香公園でサルを見たという話を聞いたのはずいぶん前になる。その吉香公園にお知らせとして「最近、このあたりで 猪が目撃されています。ご注意ください」という掲示が取り付けられた。花菖蒲園の中を駆け抜ける大形のイノシシを目撃したことがある。猪突猛進を実感したのは早朝のウオーキングの時だった。ウリ坊を従えゆっくり歩く姿にも出合ったことがあるが狂暴性は感じなかった。

 月1回の作業を仲間と楽しむ農園は国道沿いといえば聞こえはいいが住宅地の外れにある。防獣ネットの外側はイノシシの牙や鼻で掘り返されて土の塊がゴロゴロ転がっているだけの荒地になっている。そばの国道、新緑映える休日には二輪車が数十台、時にはクラシックカーの車列も見かけるが、夜間は途絶えるという。その隙に野生の生き物は思うがまま耕作する。

 道路やダム、運動公園など公共施設建設用地のため山を削って分断し谷を埋めた。野生の動物は山から山へ移動できなくなり分断された個所から人里へおりた。そこでは美味いものが容易に口にできたことを学び共存の境界が崩れ始めた、とは考え過ぎか。子どものころの共存への策は無いのだろうか。
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入梅

2015年06月11日 | 自然 季節
 

 今日は暦の上のでは入梅、しかし県内は2日に「「梅雨入りしたとみられる」と気象庁が発表。最近は「梅雨入り宣言」と呼ばなくなったようだ。沖縄は梅雨明けというから、梅雨前線の北上が本格化してくる。さっそく九州では避難勧告が各地で発せられている。市内も朝から梅雨らしい静かな雨が降っていたが、しだいに雨足が強くなり昼過ぎ「大雨・洪水注意報」が出た。この季節は1年で最も注意報や勧告に敏感になる。

 新暦の6月から7月は旧暦の5月で皐月と呼ぶが今では新暦5月の別名として使われる。この時期は梅雨の季節で五月雨(さみだれ)は梅雨の別名として使われる。その晴れ間を五月晴れ(さつきばれ)と呼ぶ。田植えをする月であることから早苗月(さなえつき)ともいわれる。

 雨が降っても学校は休みにはならない。近くの小学校の児童らも色とりどりの傘をさし、しっかりとおしゃべりをしながら登校して行く。裏通りならではの光景だが、表通りに出ると長く並んでバス通りを越えていく。

下校、この時も話声に元気をもらう。濡れた傘をくるくる回して雨滴を掛けあい賑やか。時代は変わってもふざけ合う姿は変わらないと、遠い昔を思い出す。この子らが定年を迎えるころどんな日本、どんな世情になっているのか気がかりな昨今、路面すれすれに飛ぶツバメを見ながら思う。
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