農園は雑草が伸び放題で畑を覆い隠している。1カ月ぶりだから仕方ないかと思いながら草ぬきをする。すると「1週間のご無沙汰でした。玉置宏でございます。お口の恋人、ロッテ提供『ロッテ歌のアルバム』、こんな音楽番組の冒頭を思い出した。市内ではTV電波の届かないころと思い調べると1958(昭和33)年5月放送開始で毎週日曜日のお昼とある。まだ高校在学中、ラジオだから今も耳に残っていたのだろう。
先月はこれほどの伸びではなかった。陽ざしと雨と芽生えの季節、肥料を必要としない雑草は我が世の春とばかり思いきり生きている。たくましい生命力の例えで「雑草のように育つ」と使われる。また、同意だろうが「雑草魂」「雑草根性」など穏やかな人生では身につかなかった根性などを意味する言葉で、人間を環境が悪くても枯れにくい雑草にたとえている。雑草と見くびってはいけない。
雑草の根性示す根は縦に深くまた浅く、横に広くまた狭くそれぞれに似合った形で錯綜している。水耕栽培の野菜のように均一な根は自然界では無理だ。人も同じでいろんな個性が交叉し、それに損得勘定が絡まるところから争いが起きる。雑草は抜いたり刈り取れば一応はおさまるが人の世界はそうはいかない。
青葉を好む虫たちの振る舞いも雑草に負けず劣らず、人のいないことを機に野菜をむさぼった跡が残る。虫や鳥などが野菜を食い荒らすことを「食害」と言うが、葉の硬い部分を残し食べあげた跡はお詫びに虫が創った芸術かと眺める。そうしながら無農薬農家の日々のご苦労におもいをはせる。
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