
蜜柑・ミカンは初冬の季語になっていて、冬を代表する果実のひとつ。ミカンが甘くなるのは寒くなってからになる。昔、同僚の実家のミカン山へ連れだって出向いた。ここは潮風のあたる斜面で、美味いミカンが生っているという案内に、出荷用のミカンはやっぱり美味い、と採り放題食べ放題で過ごしたことがある。
店頭に並び始めたが実が小ぶりというより小さい、直径が数㌢あるかないかくらいの品が一袋単位で並んでいる。今年は雨が少なく日射が強く成長が思わしくなかった、ということらしい。小さくても味さえよければ我が家はかまわない。産地を変えて購入してみたが、幸いかなどれも我が口に合った。ただ色の違いはどこから来るのだろうか。
小さなミカンでも存在感を感じさせる。小さくても「山椒は小粒でもぴりりと辛い」、山椒の実は小さいが非常に辛いところから、身体は小さくても、気性や才能がひじょうに鋭くてすぐれていることのたとえとして使われる。対語として「独活の大木」がある。政治家にも山椒のようないい意味での御仁が出て欲しい。小粒ではない政治家に大きな動きがありそうだ。
小さい、身長の低い私は、背の低い方から背高順に整列するといつも前から2、3番目くらいだった。高くなりたいと「前にならえ」で手を挙げるたびに思たことを思い出す。小さなミカンの気持ちが何となくわかる。背の低いことをチビという、いまは禁語だろうか。
「今日の575」 蜜柑しる肌にいいよと顔に塗る