
62年前の今日は満79歳で祖父の他界した日。楽しみにしていた関西旅行から帰って数日後に倒れしばらくして先だった祖母の基へ旅立った。午前中、妻といつものように命日の墓参りをした。当時、79歳といえば長寿の一人ではなかったろうか、確かな記憶はないが思い出す。
葬儀は自宅葬だった。講内の隣近所みなさんの差配で行われた。私は高校出て三交替の1年目だった。その葬儀に交替班の班長が、職場皆さんの香典を包み、10数キロの道のりを自転車で駆け付け参列された。父が丁寧に挨拶していたことを記憶している。コロナ禍の今では想像もできないことだと思い返す。
私も一昨年、2人の義兄をあいつで見送った。コロナ禍で、いずれも葬祭場での家族葬で行われた。しめやかといえばそうだが、それなりに社会に尽くしてきた人のことを思えば会葬者の無い葬儀に物足りない思いもした。ただ、葬祭場の感染防止策に予想以上の工夫がされていた。
最近の葬儀はコロナ禍もあって家族葬が当たり前の姿になった、身近での葬儀の様子を聞きそう思う。新聞の折り込み広告も、かつての豪華な葬儀案内は姿を消し、家族葬での広告になっている。親しい知人の葬儀に参列できず残念だったことを思い返しながら、これからは家族葬という形が定着していくのかもしれない、定かではない想像をしている。
(今日の575) 灯明を消して今日の無事感謝