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家の外回りの作業で脚立を使った。作業を終えて片づけていてふと気づいた。これまで数えきれないくらい、そう記憶していないほど使ってきたのに見落としていたというか、意識しなかったのかもしれないのだが、脚立の購入日を「1978.6.10」と赤ペインキで記入している。丁度40年になる。色あせもガタも来ていない。転倒だけは気をつけて登っている。
倉庫に収めながら「40年前、なにをしていただろう」と思い返す。年齢はすぐに思い出せる。結婚して11年目、息子は小学3年くらいかな、習い始めた剣道が面白くなってきたのか素振りをよくやっていた。病身だった母も体調が戻り庭の菜園や家周りの草抜きを日課にしていた。
勤務していた工場は異動の辞令は「口達」のため辞令書は手元にない。78年といえば数名の製造部スッタフの一員として、創造性に富む面白い仕事を担当させてもらった。40才前のここでの経験はそれ以降の糧になった、厳しかった上司の顔を思い浮かべながら回想することがある。しかし、大方が記憶でしか思い出せない。
昨今の霞が関のごたごたに関して元総理大臣が「記憶より記録」と発言された。書いたものが残っていれば、それはあることを証明する確かなもので、記憶という言い逃れを追いやるものだ。10年前の今日、私は何をしていたか、手帳を繰って見る。NPOの定期総会を受けての「臨時理事会出席」とメモしている。とうてい記憶では思い出せない10年も前のことだが文字では残っていた。記憶より記録、改めて思う。