住居表示が「丁目・番・号」に代わって何十年過ぎただろうか。各種の申告や届出には欠かせない住居番号、これを誤記すると何かの間違いが起こり混乱も発生するだろう。いつも復唱しながら記入している。新表示で聞かれると、その位置が分からないことが多い。先日、こんなことがあった。
家の前で、高齢の夫婦が「ここへはどう行けばいいんですか」とメモを渡された。見ると同じ町名だが丁目は離れている。手持ちの地図で確認し、行かれる先は病院ですかと確認し、この道を直進し、次の三叉路を左折ししばらく行くと右手に建物が見える、と教えた。確かに、地図で探すときは新表示は分かりやすいと、いい点に初めて気づいた。
新表示以前の旧町名を言われると「おおよそあのあたり」という予測はできる。しかし、その町の番地などを聞かれたら、そこを探し確認する方法を個人では持っていないだろう。地域行事では旧町名を用いて開かれることも多い。地域の絆という意味では気持ちよく受け入れられる。旧町名を言われると「おおよそあのあたり」という予測はできる。
「城下町時代の町名を復活させるのは困難だが、せめて街角に表示を設置し、由緒ある町名を周知して欲しい」という投書を読んだ。錦帯橋周辺の小路は藩政時代主に栄えた七つの町名「岩国七町」として残り、町名の表示があちこちに掛かっている。ご当地検定メンバーの一員だったこともあり旧町名には興味がある。残念なのは町名を表す街並みが年ごとに影が薄くなる。時代といえばその通りだろうが、町名表示板は引き継いでほしい。