石垣の歴史は古く、飛鳥時代の末期7世紀後半に百済から伝えられたという。その形態は今とは異なる。鎌倉・室町時代には戦乱に備えてその作り方に張石や練積といった工夫が凝らされた。しかし、いづれも壊れやすいことが欠点あった。やがて空積法が出現し、城郭へと進歩したという。
子どものころに見ていた河川の護岸改修は現在のコンクリート壁ではなかった。大きさの異なった切り石を加工し、亀の甲状に積み上げいた。石の加工にはハンマーを使う。長さや角度を目測し硬い石にハンマーを打ち下ろす。ハンマーを打つたびに大小の破片が遠く近くに飛ぶ。加工され終わると積まれるが、狂いなくおさっまっていた。不思議な感覚で作業を眺めていたことを思い出す。
国道と民有境界の法面。形や大きさの不揃いな石を積み上げた石垣がある。長さは100メートルもあろうかと思う。道路からは同じ石垣が2段見えるが、その奥にさらに1段積まれている。急な法面をより広く活用する昔の人の知恵がうかがえる。棚田も同じ思い考えからだろう。
見上げるような石垣は乱積と呼ぶ積み方という。高さや大きさの形状不均一な石を積み上げるため、石の並びは不均一。石と石との間の隙間には小さな石を押し込めたようで何とも頼りない感じだがする。しかし、触って動かそうとするもビクともしない。誰が積み上げたか知らないが、世界とはいかないだろうが私の眼には立派な遺産に思える。
訪ねた棚田も石垣で段をなしているが、その石も不揃いだった。それでも長い年月、棚田を守りコメ作りを守ってきた。そんな石の隙間からトカゲやヘビの出入りに声を出して騒いだのは子どものころだった。