2メートルほどの高さで八つ手の若実が冬空に映えている。同僚が「八つ手の葉は幾つに割れているか」と問うてきた。当然のようなことう問うということは何か仕掛けがあるとは思いながらも「名前どおり」と返事した。案の定「それは思いこみ」と一蹴、実際は奇数という。
本当かい、とこの年になり初めて何分割か調べてみた。確かに数枚確認したが7と9に割れているものしかなかった。7裂あるいは9裂と表すそうだが、開いた手の形に似ているから奇数かもしれない、などとつまらぬ納得をした。
八つ手だから8、このことを疑ったことは無かった。思いこみと言われればそうかもしれない。自己弁護になるが名前がそうだからと「すっかり」信じていたことになる。世の中のはこんな事例はあるのではなかろうか。八つ手なので何とか傷つけずに済んだが、もし人への思いこみから発した内容で間違っていたら、この地方でいう「おおごとになる」こともあろう。
この八つ手、天狗の持っている大きな団扇に似ていることから、魔物を追い払う力がある、と大切にされるとか。人の災いも扇ぎ飛ばしてくれるなら、猫ひたほどの庭にも植えてみるかと考える。