これからの季節、広さにお構いなく庭に顔を出すのが草。数少なければ草でいいが、広がれば雑草になる。夏の日照り続きでも雑草は衰えを見せないで生きている。我が家は庭の草防止策として砂利を敷いた。以後、草ぬきの作業は激減する。砂利を歩くと「ジャリ」と音がし防犯にも一役かっている。
「雑草のように生きる」という。高い障壁を乗り越え深い谷から這い上がるなどたくましい生命力の例えにつかう。雑草はちょっと尊敬されている。「あいつは雑草のような奴」ともいう。こちらはまさに邪魔もの扱いの例になる。
山間地域を車で通っていて感心することがある。それは地域がら段々畑が多いが、その法面の雑草が綺麗に刈り取られていること。農家の人は見栄えでなく畑や作物のことを考えての除草だろうが、法面のうねりは、くっきりと描かれている水彩画を見るようで、気持ち良い。
自家用の畑は段状だった。法面の雑草を刈る。畝にかぶせその乾燥を抑えたり積み重ねておいて、畑にすき込んだりした。肥しをやるわけでもないのに法面の雑草は畑の作物に負けない、それ以上に伸びていたことを思い出す。そんな畑も用地買収にあい30数年そんな経験から遠のいている。
(写真:綺麗に刈られた道路の法面、法面に続く畑を作る人が刈られたのだろう)