毎月1度は墓参りをする。ここには数十基を越える墓石が立っている。この場所がいつから墓地になったか知らない。我家のそれは私の誕生以前の日付になっている。山の中腹だったこの地も開発により周辺が整備され、車が横付けできる便利な地になった。40余年前に逝った父は知る由も無い。
開発されるとき墓参用にと上水が引かれ共同の蛇口が設備された。それからは水の持参が不要になり大変便利になり、感謝している。高齢の方の喜びはひとしおだった。
その蛇口の周りがいつからかゴミ置き場になった。古い花や榊、花などの包装用の紙やフィルム、空のペットボトルに缶などが放置され始めた。あっと言う間にうず高くそして横に拡がった。祖父母から墓所でのゴミ置き去りをきつく注意されていたため気に入らない現象だった。
昨年のお盆前、どなたかが道沿いの雑草を丁寧に刈取り「お墓はきれいにしましょう」「ゴミは各自持ち帰りましょ」と2本の立札を立てられた。ゴミ持ち帰りのそれは蛇口のそばに立っている。
効果を期待していた。半年たちゴミの放置が目に見えて少なくなり、花や榊でうず高かった山は自然へ帰っていくのか、ひと時より低くなった。缶などは見当たらない。それまであった缶などはどなたかが整理されたのだろう。
ゴミ持ち帰りの立札の足元に寄り添うように1本の花が咲いた。先月は見かけなかった。
奇特な方へのお礼と自然が戻ってきた喜びを表すかのような小さな花は穏やかな冬日を浴びていた。なんだか嬉しく手で水をすくい根本へそっと撒いた。「ありがとう」といって。
(写真:立札の下で咲いた小さな花)