芭蕉は秋の季語。植物園で「バナナの木」だと指さした子に「バナナにはバナナの実がなる、芭蕉には実はならない」と教えたお父さんを見たことがある。うまい説明だと思った。
ウォーキングの道沿いに何箇所かにその群生がある。強く見える緑濃いその葉は破れやすい。手に取るとよく分かる。北の風にさらされるとその葉は細かく引き裂かれる。間もなくその季節になる。その姿は「破れ芭蕉」といい冬の季語になっている。破れ芭蕉は冬のあいだ丸裸となり見るも哀れだ。
庭師に「芭蕉の葉は破れやすいため庭に植えることを嫌われる」と聞いたことがある。確かに破れ芭蕉の姿を知る人は庭の角に1株とは思わない。庭で芭蕉は確かに目にしたことはないが、裏庭では見ていた。
芭蕉の茎は水分をタップリと含んでいるいる。切口からは透明な液体が滴り落ちることを経験している。また茎の繊維は芭蕉布として織られ、紙の原料にもなった歴史があるという。
芭蕉の思いでは秋祭りに作った角寿司の各段の仕切に使われていたことだ。艶のあるあの葉はいまが盛りと風に揺れている。
(写真:いまが盛りの芭蕉)