秋の日差しに誘われ時間待ちのあいだ周辺を散策した。
畑の周りのコスモスとススキのゆれが秋の風情を色濃くしている。柿の実も薄く色づき初めていた。農作業の婦人は、目だけ残して日差しを避ける完全武装だった。朝夕は賑やかに合唱する虫の声も、日の高くなったこの時間では聞かれなかった。
幅数メートルもあるような大きな「くもの巣」に2匹のクモがいた。その大きさや体形から親子クモと思った。くもの巣は毎日のように見ているが、1つの巣に2匹いるのは初めて目にした。その間は2メートルほどだろうか。
クモの子を散らすという。これは群集などがちりぢりばらばらに逃げ散るさまなどのとき使う表現だ。その意味は、一塊に産み付けられたクモの卵は生まれると糸を流して風に乗り飛んでいき散らばることからきている。長野県のクモが偏西風に乗りアメリカにたどり着く話を思い出した。
するとこの子クモは風に乗って飛んでいけなかったのか、飛んだけど親の元へ帰りついたのか、意味もなく思いながら数分間見ていたが親クモが位置を変えただけで子クモは動かなかった。
動かない親子のクモ、これから先のことについて、細い糸を使って会話していたのだろうか、張りめぐらされたネットを使ってどこかと交信していたのだろうか。厳しい自然界、これからどんな展開になるのだろう。
相撲界が大揺れだ。師匠と弟子は親子の関係にも例えられる。実の親はすべてを託しておられる。そこで何が起きたのか「マスコミ先行型」で知らされている。相撲協会の腰が重い、と批判されている。相撲だから腰の重いのは当然だが、このまま世間を「寄り切り」で負かすことは出来ない。
(写真:1つのクモの巣にいた親子クモ)