ローマ人への手紙6章1-14節
パウロはローマ人への手紙で「絶対にそんなことはありません」ということばを10度書いており、6章2節にもあります。
「…罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました」ということばを読んだ人の中には、「神の恵みが増し加わるのだったら、なお罪の中にとどまったほうがよい」と言う人がいたのかも知れません。
パウロは断固否定します、「絶対にそんなことはありません」と。
聖書なので当たり前といえばそうなのですが、きょうの箇所には「キリスト」ということばが目につきます。自分の立場を忘れてふらふらしている人々に、パウロは「キリストにある」「キリストとともに」あるキリスト者の立場を自覚するようにと、促しています。
「イエスさまを信じたのだけれども、それでどうなったのかがはっきりわからない」ということならば、不安定な歩みになってしまうことでしょう。けれども、あれこれ忙しい中では、キリスト者であるという立場をどこかに追いやって、「ああ大変だ」「どうしよう」とあたふたしている自分がいます。
「みことばの光」の祈りのことばを記します。
「罪に勝利するために、キリストと共にあるという立場を忘れることがありませんように。」
確かに、立場がはっきりしなければ戦えません。
パウロはローマ人への手紙で「絶対にそんなことはありません」ということばを10度書いており、6章2節にもあります。
「…罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました」ということばを読んだ人の中には、「神の恵みが増し加わるのだったら、なお罪の中にとどまったほうがよい」と言う人がいたのかも知れません。
パウロは断固否定します、「絶対にそんなことはありません」と。
聖書なので当たり前といえばそうなのですが、きょうの箇所には「キリスト」ということばが目につきます。自分の立場を忘れてふらふらしている人々に、パウロは「キリストにある」「キリストとともに」あるキリスト者の立場を自覚するようにと、促しています。
「イエスさまを信じたのだけれども、それでどうなったのかがはっきりわからない」ということならば、不安定な歩みになってしまうことでしょう。けれども、あれこれ忙しい中では、キリスト者であるという立場をどこかに追いやって、「ああ大変だ」「どうしよう」とあたふたしている自分がいます。
「みことばの光」の祈りのことばを記します。
「罪に勝利するために、キリストと共にあるという立場を忘れることがありませんように。」
確かに、立場がはっきりしなければ戦えません。