みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

機会を捕らえた罪

2011年11月10日 | ローマ人への手紙
ローマ人への手紙7章1-12節


 少し前に、「ブレーキなし自転車」が話題になりました。
 恥ずかしいことですが、私はそのとき、自転車には前後輪にブレーキをつけていなければならないという、道路交通法を初めて「自覚」したのです。違反して初めて、法律を意識するということもありますね。

 速度超過で引っかかった人が、「知らなかったんですよ。この道路が40キロまでだっていうこと」と言い訳をしている様子を見聞きしますが(私も引っかかったときに「急いでいたもので…」と言い訳にならないような言い訳をしてしまいました)、そんなときお巡りさんは、「さっきあなたがお通りになった道路の左側に『40』の標識がありましたよ」と優しく説明するのです。

 ここにも、パウロの「絶対にそんなことはありません」があります。
 古い自分が死んだのだから律法から解放されている、だから恵みが増し加わるために罪を犯そうなどというバカなことを言ってはならない、とパウロは話を進めているのです。
 そうするとまた、「それでは律法が悪いのだ」という声も出てくるのです。どこまでも人間は自己弁護を繰り返すものなのだと、自分自身を含めてあきれてしまいます。

 いや、律法が悪いのではなくて、「戒め(律法)によって機会を捕らえた罪が私を欺き」とパウロは話を正しい方向へと向けています。

 何が問題なのか、何が敵なのかを、見失ってはならないのですね。

 
 


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