みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

罪をおおわれた人は幸い

2011年11月04日 | ローマ人への手紙
ローマ人への手紙4章1-12節


 「おおう」「おおいをかける」というと、何となく「臭いものには蓋(ふた)」と、あまりよい印象はしません。  福島第一原発の放射能汚染問題で、福島県では多くの地域で土壌の除去が進められていると報じられています。問題は除去した土壌の置き場所。恒久的な保管施設が設置されるまでの間は、「中間貯蔵施設」に収容するといわれますが、ここにも乗り越えなければならない多くの課題があるそうです。
 「とりあえずはシートでおおって」ということになるのでしょうか。
 
 「突然の来客!」で、あわてて部屋のものを押し入れやロッカーに放り込むなどというのも、「おおい」の一つかもしれません。でも、押し入れの中やシートの下には、ごちゃごちゃとしたものがあり続けるのですよ。

 パウロはダビデによって謳われた詩篇32篇を引用します。
 「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。
  幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は。」

 ダビデは、隣人の妻を奪い、うそを重ね、人殺しをするという大きな罪を犯しました。最初彼は、自分の罪を自分でおおうための画策を巡らしますが、預言者によって罪を指摘されてしまいます。
 「私は主に対して罪を犯した」(Ⅱサムエル12章13節)は、人間による最も美しいことばだと思います。そう、罪を自分でおおい隠さずに主に申し上げる人を、主はゆたかに赦してくださるのです。
 「みことばの光」には「罪をおおわれるとは、罪を隠すことではない。神に罪を赦していただくという大いなる恵みは、私の罪がおおわれてしまったかのようだと、表現している」とあります。

 神の大いなる恵みに、感謝し尽くすことができません。
 ありがたいことです。






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