みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

罪の奴隷、神の奴隷

2011年11月09日 | ローマ人への手紙
ローマ人への手紙6章15-23節


 奴隷と聞くと、いまの日本ではあまりピンと来ないという人が多いと思いますが、視点を変えるとそうでもありません。パウロは奴隷を「自分の身を捧げて服従する」人だと書いています。

 便利なものが増えています。スマートフォンは今年のベストヒットナンバーワンだそうですが、4年前にiPhoneが出た時には、「あんなおもちゃみたいなものだれが使うだろうか」とか「メールの文章が打ちにくいので流行らない」というコメントがたくさんありました。
 ところが、電車に乗って周りを見回せば、ざっと半分ぐらいの人が流行らないはずだったスマートフォンを使っています。
 でも、自戒を込めての警告を…。いつの間にか便利なものに依存し、それがないと不安だと思っている人。奴隷状態なのかもしれませんね。気をつけなければ…。

 「恵みの下にあるのだから罪を犯そう」というとんちんかんな発想に、「絶対にそんなことはありません」と否定したパウロは、「奴隷」ということばを用いて、恵みの下にあるのだからこそキリストを信じる者は罪を犯さないのだと書いています。
 読んだ人は、「奴隷」ということばでパウロが言おうとしていることがよくわかったのでしょう。当時のローマには、奴隷制度が生きていたのですから…。
 罪から来る報酬、神の下さる賜物としての永遠のいのち、報酬と賜物ということばの対比が鮮やかですね。
 
 神の奴隷であることの自由を、キリスト者はもっと喜び、味わうことがあってもいいと、思いました。






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