みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

悩みの中で

2011年11月22日 | ヨブ記
ヨブ記36章15-33節


 昨日は、ホテルや学校などに聖書配付の働きを進めているギデオン協会主催の愛餐会に出席しました。この地区の支部活動を活性化するという趣旨の会合でしたが、懐かしい方と再会できた嬉しい時でもありました。
 改めて、神がご自分のことばを聖書によってお届けくださっていることのすばらしさを、ともに味わうことができました。聖書がなければ、迷いの森の中にどっぷりとはまりこんでしまったままだろうと思うと、感謝でいっぱい。

 エリフのことばもいよいよ大詰め。
 「みことばの光」にありますように、「神は人を悔い改めに導くための手段として苦難を用いられる」とエリフはヨブに語ります。それは、三人の友が「あなたは何か罪を犯したのだからこのような苦しみに遭っているのだ。だから神に罪を悔い改めよ」と述べたこととは違います。

 エリフは苦難の原因を云々しているのではないのですね。
 苦難の中で、自分の正しさを訴えるあまり、神をさばくという罪を犯してはならない、苦しみの中であなたを助けると約束している神に高ぶりの罪を悔い改めよ、と勧めているのです。

 しかし、やはりエリフには、ヨブがなぜあれほどまでに神に向かって叫ぶのかのわけが、わからないのだと思います。それも仕方がないというか、エリフはがんばっているなぁとさえ、私には思えます(少々エリフ贔屓でしょうか)。

 今日の箇所から思わされた二つの新約聖書のことば。
 「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」ローマ12章15節
 「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」ヘブル4章15節


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