ローマ人への手紙7章13-25節
「ほんとうはしたくはないんだ。でも、手が悪いんですよ。するな! と思っても、手がひとりでによそ様の財布をとってしまうんだから、仕方がないんです。まったくどうしようもないな。俺の手は…。」スリの常習犯のセリフです。
犯罪でなくても、自分の悪しき習慣を改めたいと心では思っているけれども改められないという、嘆きのようなあきらめのような、居直りのようなことばを時々耳にします。(私にも思い当たることは山ほどあります)
パウロの戦いはすさまじいものです。笑ってなどいられません。
律法が神によって与えられた良いものであると述べるパウロは、主イエスを信じて律法に心から従いたいと願うようになりました。だが、彼は自分には律法を守ることができないというみじめさを経験します。
「みことばの光」にあるように、ここはパウロが、「自分が救われた者だということを前提として、罪との戦いの現実を率直に語っている」箇所なのです。
もし、25節の前半がなかったならば、そして続く8章がなかったならば、次のようになるでしょう。
「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。…ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。」
25節前半は、パウロの感動がはじけ飛ぶような一言です。
そうです! 信仰者の喜びの基はこの一言。「ただ神に感謝します。」
ほんとうに、ありがたいことです。
「ほんとうはしたくはないんだ。でも、手が悪いんですよ。するな! と思っても、手がひとりでによそ様の財布をとってしまうんだから、仕方がないんです。まったくどうしようもないな。俺の手は…。」スリの常習犯のセリフです。
犯罪でなくても、自分の悪しき習慣を改めたいと心では思っているけれども改められないという、嘆きのようなあきらめのような、居直りのようなことばを時々耳にします。(私にも思い当たることは山ほどあります)
パウロの戦いはすさまじいものです。笑ってなどいられません。
律法が神によって与えられた良いものであると述べるパウロは、主イエスを信じて律法に心から従いたいと願うようになりました。だが、彼は自分には律法を守ることができないというみじめさを経験します。
「みことばの光」にあるように、ここはパウロが、「自分が救われた者だということを前提として、罪との戦いの現実を率直に語っている」箇所なのです。
もし、25節の前半がなかったならば、そして続く8章がなかったならば、次のようになるでしょう。
「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。…ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。」
25節前半は、パウロの感動がはじけ飛ぶような一言です。
そうです! 信仰者の喜びの基はこの一言。「ただ神に感謝します。」
ほんとうに、ありがたいことです。