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ドラマ「55歳からのハローライフ」第三話四話、クラシック音楽、あと野球

2014年07月07日 01時28分21秒 | テレビ
NHKのドラマ「55歳からのハローライフ」は原作を読み終えた後も引き続き見ている。
「結婚相談所」も「トラベルヘルパー」も見た。
「結婚相談所」は映画『ひまわり』を見たほうがいいかなという気になった。イタリア映画はどうもあまり印象が良くなくて見ていない。印象が悪くなるほどの数を見てはいないのだが、フェリーニの『道』とか『甘い生活』とかが合わなかったので。フェリーニが合わないだけなのかもしれない。
原田美枝子は綺麗だけれど、でも若い男とそんなことがあるかなあと思ってしまった。
小説ではそのようには感じなかったので実際に映像を見るとやはり印象が違う。
別れた夫が登場したときに服装について「ユニクロだよ」と言い訳のように小説では言ったと思うのだが、ドラマではそれはなかった。
「トラベルヘルパー」はドラマのほうが良いような気もした。
しかしそもそもこの話をあまり好きではない。
なぜかと考えるに主人公が独身だからだろう。夫婦関係についてきちんと描いたものがおもしろいように思う。
松本清張を読もうとは思わなかった。『砂の器』も『ゼロの焦点』も読んだことがあるからかもしれない。ドラマでは新潮文庫ではなく「新昴文庫」みたいな文庫になっていた。きちんと作っている。しかし松本清張の『砂の器』と『ゼロの焦点』は実在のものなのにそれを出版している出版社を架空のものにする必要はあるのだろうか。
次回の「空を飛ぶ夢をもう一度」は、「笑ゥせぇるすまん」が登場するのかどうかが気になるところだ。

小澤征爾・村上春樹の『小澤征爾さんと、音楽について話をする』を読んだのでやはりクラシック音楽に少し興味を持っている。
興味を持っているがしかしクラシック音楽はどのように聴けばよいのかよくわからない。
「どのように聴けばよいのかよくわからない」と言うと、どのようにでも聴けばよいという答えが返ってきそうだが、やはり素人にはわからないのだ。
岡田暁生の『西洋音楽史』という本が入門書では定番のようなのだが、歴史が知りたいのだろうか、と疑問に思って買っていない。
マルクスについての入門書を読むとだいたいまずはマルクスの生まれた年やら貧乏な生活やらが書かれているものなのだが、果たしてそれが知りたいのだろうか、と思う。『資本論』の理屈について知りたいのじゃなかろうかと思う。
クラシック音楽についても音楽史が知りたいわけじゃないんだよなと思う。
小説についてはじめて知りたいと思ったときに、源氏物語とか夏目漱石とかから始まる文学史を読んでも何もわからないような気がする。
まずは本を読んだら、と言ってしまいそうな気がする。そして何を読んだらいいのか、と問われて絶句し、「うーん、夏目漱石とか太宰治とか村上春樹とか」と答えて、「でも結局はその人の趣味だからわからない」と言って逃げるだろうな、と思う。
クラシック音楽も、誰の何をまず聴きなさい、次はこれ、と言われたいような気もするが、そんなおせっかいな人は嫌だな、とか、結局その薦めてくれる人はそんなに偉いの、とか考えてしまうだろう。
他人にものを薦めるのも薦められるのも非常に難しい。
家にあるアランやら小林秀雄やらの本をまずは読んでみようかと思っている。

いま実際に読んでいるのは全く関係なくて、マイケル・ルイス『マネー・ボール』。
野球について少しだけ詳しくなる。
エラーというのはやってくるボールの正面にいてミスをすることなので、エラーにならないようにしようとすることは実は簡単なこと。そのようなものの数字をとって、その数で何が結局判断できるのか、というような、その世界の常識を疑うということが大切であるということを教えてくれる本。
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メルヴィル『白鯨(下)』

2014年07月05日 00時19分37秒 | 文学
メルヴィル『白鯨』(岩波文庫)を読んだ。
最初から最後までおもしろくない本というのは珍しいのだが、本当に最初のほうの捕鯨船に乗り込む前あたりは少しだけ興味を惹かれたのだが、それ以降はぜんぜんおもしろくなかった。
読んで良かったのはもう『白鯨』を読まなくてよいということくらいかもしれない。
何でもよいのだけれど、白鯨というのは僕にとって英語かもしれない、とかクラシック音楽かもしれないとか、求めながらもなかなか得られない、ついには死ぬまで得ることができないかもしれないものを、そのように表現することができる。
『白鯨』という小説そのものが僕にとって白鯨なのかもしれない。最後まで捕まえることができなかった。
もうたぶん、読むことはないだろう。さようなら。

NHKの「ミュージック・ポートレイト」で、木村カエラが自身の最大のヒット曲である「Butterfly」について、それまでの曲と違い素直に気持ちを表現した(してしまった)曲が売れたことについての戸惑いをわりと素直に語っていた。
これは村上春樹における『ノルウェイの森』と同じことなのだなと思った。
村上春樹も『ノルウェイの森』についての複雑な気持ちを語っていたことがあった。
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小澤征爾・村上春樹『小澤征爾さんと、音楽について話をする』

2014年07月02日 22時26分21秒 | 文学
小澤征爾・村上春樹『小澤征爾さんと、音楽について話をする』(新潮文庫)を読んだ。
基本的に音楽に興味がないので、何を言っているのか良くはわからないのだが、それなりにおもしろかった。クラシック音楽に興味があればもっとおもしろいのだろうなと思った。
ふたりの話を聞いていて羨ましくなった。音楽に詳しければよかったのになと思った。
これまで何度かクラシック音楽に興味を持てたらいいのにと思ったことがあり、少し聴いたり、本を読んだりしたことはあるのだが、そういうのはやはり続かない。なにか内側から燃え上がるものが必要なのだろう。

村上春樹が宇多田ヒカルを知っていることに感動した。
小澤征爾は宇多田ヒカルを知らない。
ふたりで「ブルーズ」について話すのだが、ほんとうにふたりとも「ブルーズ」と言ったのだろうかと不思議になった。僕のまわりでブルースを「ブルーズ」と言う人はいない。もっともブルースについて語り合うことがないのだが、「ブルーズ」と言いそうな人はいない。
簡単に言うと村上春樹の創作ではないかと疑っている。「ロールズロイス」と同じ匂いがする。
小澤征爾って「ブルーズ」って言うのかなあ。言いそうな気もする。確認したい。
でもそういうところも、村上春樹らしくて良い。きれいに編集されていて、「」(かっこ)つけて対話を書いている部分とつけないで書いている部分を書き分けていたり、小澤征爾が餅を食べたり紅茶に砂糖を入れたりする場面をちょっと入れたり、非常に工夫されている。
ここに出てくる小澤征爾は(ほんものを知らないのでわからないが)、結構村上春樹的人物になっているのではないかと思う。

雑誌「考える人」に載った「厚木からの長い道のり」が文庫では最後に収められている。
大西順子というジャズ・ピアニストに興味を持った。たぶん多くの人が興味を持ち、彼女に仕事を与えるべきだと思うだろう。そういうふうにうまく書かれている。
「太陽と北風」(454頁)と書かれているところがあり、「北風と太陽」のことだろうけど、なぜ逆? また「ブルーズ」と同じで本来はそうなの? と思い調べたが、英語でも「北風と太陽」のようだ。村上春樹にもこういうことがあるのだな。

村上春樹もそろそろ誰かにきちんと話を聞いてもらう時期なのではないかと思う。自分の長編小説をひとつひとつ語るようなそんな本を期待したい。
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内田樹『呪いの時代』

2014年07月01日 00時02分52秒 | 文学
内田樹『呪いの時代』(新潮文庫)を読んだ。
Yahoo!でニュースを見ていると、そもそもなんで取り上げられるのかわからない、重要とも思われないタイトルのニュースで、その詳細を見ると、読者からのろくでもないコメントが書かれていたりする。で、そういうのをしばらく見ていると、見るのが癖になってきて、ニュースのタイトルから大体こんなろくでもないコメントが書かれているだろうと予想できるようになる。で、予想が当たるとちょっと嬉しかったりもする。
そういうのはよくないと思い、最近はYahoo!ニュースをあまり見ないようにしている。
少し前まで、Yahoo!ゲームでよく将棋をやっていたのだが、対戦相手がろくでもないコメントを書いてくることが多くなり、将棋に負ける以上に気持ちを沈ませることがあり、やめてしまった。
ろくでもないものに触れていると、どんどん自分の中の善きものが死んでいくので触れないほうが良い、というような思想を僕は内田樹から学んだのだと思う。
今回の『呪いの時代』もいつもの内田樹の話で、強く心に残った部分もないではないが、基本的には内田樹の言いそうなことが内田樹の文章で書いてあった。
僕はもう何年も内田樹の文章を読んでいるが、この「言いそう」と思えることが重要なのではないかと思った。
何かあったときにそのひとと同じように考える癖をつける。
誰かの本を読むというのがどういうことなのか実は最近よく考えるのだが、そのように英語を繰り返し発音するように、繰り返し同じ著者の本を読むことでそのひとと同じ身振りができるようになるということが本を読むことの重要な意味なのではないかと言うことを最近思っている。
寺子屋論語的、または、キリスト教聖書的な思想に近くなっているのを感じるが、昔から続けられていることにはそれなりに意味があるのだと思う。「論語」や「聖書」を繰り返し読ませるのは孔子やイエスと同じように考えさせようとしているのだろう。

以下は、まったく関係のないメモ。

英語の音読について。
英語の音読は単調に繰り返していたのでは飽きる。お手本と同じように抑揚をつけて言うと、気持ちが高揚し、続けられる。

ウィンブルドンについて。
NHKでウィンブルドンが放送しているが見ていない。まったく興味がない。
テニスを続けているので見たらいいのだろうと思うが、録画して見るほど興味が持てない。見ている人はテニスが上手くなるのだろう。私が上手くならないのは上手な人のプレーを見ないせいだ。

富士日記について。
武田百合子の『富士日記』に興味がある。もう何度目かの興味。
メルヴィルの『白鯨』を読み終えたらトルストイの『戦争と平和』を読もうと決めているのだが、その前に『富士日記』を読むかもしれない。
いまは村上春樹の『小澤征爾さんと、音楽について話をする』を読んでいる。
映画のDVDには監督や俳優がその場面で何を考えたかを語るオーディオコメンタリーを副音声で聞くことができるものがあるが、それを読んでいる感じ。しかも映画そのものは流れてもいないし見たこともないという状態。
クラシック音楽に興味がないので言っていることの大半はよくわからないのだが、まあまあおもしろい。
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