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大江健三郎『キルプの軍団』

2020年03月13日 22時43分05秒 | 文学
大江健三郎の『キルプの軍団』(1988年)を読んだ。(講談社『大江健三郎全小説11』所収)
僕にもこんなふうにディケンズの小説を原書で一緒に読んでくれるような刑事の叔父さんがいたら良かっただろうなと思う。英語の勉強になっただろう。仕方が無いからいまからでも英語の勉強でもひとりで(高校生とおじさんのひとり二役で)してみようかとも思った。
もうちょっとおもしろいものかと期待していたけれど、読みやすいがそんなにおもしろくはなかった。再読だが昔読んだときと大きく印象は変わらない。大江健三郎の子供が語り手ということなら『静かな生活』のほうが好きだ。『二百年の子供』のほうが好きかもしれない。
ディケンズの『骨董屋』とドストエフスキーの『虐げられた人びと』について語られ、ネルとネリーというそれぞれの小説の登場人物について詳しく語られる。研究書についても言及される。そんなことが必要かなと思う。
百恵さんにも惹かれなかった。彼女がネルあるいはネリーなのだろうけれど。「キルプの軍団」というのは村上春樹の「リトル・ピープル」みたいなものだろうか。
大江健三郎がこの時期ディケンズを読んでいて、その成果に少しお話を付け加えました。そしてお話のオチはいつものテロ騒ぎです、というようにしか読めなかった。
最後に「卒業」という曲(大江光作曲)の楽譜が載っていて、ピアノを習っている娘(七歳)に弾いてもらったが歌い方がわからない。
語り手のオーちゃんが《僕はピアノの音ひとつひとつに言葉をつけて行きました》(669頁)と書いているけれど、文字数がぜんぜん足りない。
あえて歌い方を書けば以下のような感じだが、おそらくこんな歌ではないだろう。お経にしか聴こえない。

きょ(→)お(↑)で(↑)お(↓)わ(↓)り(↑)と(↓)ゆ(↓)う(↑)こ(↓)と(↓)
ふ(→)し(↑)ぎ(↑)な(↓)き(↓)が(↑)す(↓)る(↓)ね(↑)え(↓)え(↓)

《兄のメロディーにあわせて僕の書いた言葉を家族みんなが歌ったのでしたが、やはり自然な作られ方の歌、という感じじゃないのです。それでも、兄が正確な音程の小さな声で歌うと、澄みわたって清すがしい気持プラス悲しみが浮かびあがるようでした。》(672頁)
と書かれるがそんな気持ちにはならない。上手く歌えないので悲しい気はするが。
やはりここは大江健三郎お得意のグロテスク・リアリズムなのだろう。
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