ポール・セロー『ワールズ・エンド(世界の果て)』(中央公論新社)を読んだ。
山田太一の『異人たちとの夏』を読んだときに、《ポール・セローというアメリカの作家に、ロンドンの作家たちが、派手な交際をしているかに見えて、いかに滑稽なほどそれぞれが一人ぼっちかという短篇があったけれど》(151頁)という一節があり、興味を持ったのがきっかけ。
「文壇遊泳術」がおそらくその短編なのだと思うが、おもしろく読んだ。
気になるのは、この本を村上春樹が訳して最初に出版されたのが1987年7月で、山田太一の『異人たちとの夏』が出たのが1987年12月ということなので、買ってきてすぐに読んで取り入れたということなのだろうか。それとも山田太一は英語で読んだのかなあ。あまりそんな雰囲気がないけれど。(そんな雰囲気というのはあの時代で英語が堪能そうな、威張った、大橋巨泉的な雰囲気。)
「真っ白な嘘」は身の毛のよだつ話。ぞっとする。
「あるレディーの肖像」はタイトルからもっとヘンリー・ジェイムズについての話かと思ったが違った。少し名前が出てくる程度。お洒落。
火がついて燃える、の例として「ジャン・パラシュ」という名前が出てくるがなんのことか最後までわからなかった。調べてみるとJan Palach(ヤン・パラフ)のことのよう。「ことのよう」と言っても私も知らないのだが。
最後の長い、「緑したたる島」はおもしろくなくてうまく読めなかった。望まないで子供ができてしまった男女の逃げ道のない感じが嫌だった。
山田太一の『異人たちとの夏』を読んだときに、《ポール・セローというアメリカの作家に、ロンドンの作家たちが、派手な交際をしているかに見えて、いかに滑稽なほどそれぞれが一人ぼっちかという短篇があったけれど》(151頁)という一節があり、興味を持ったのがきっかけ。
「文壇遊泳術」がおそらくその短編なのだと思うが、おもしろく読んだ。
気になるのは、この本を村上春樹が訳して最初に出版されたのが1987年7月で、山田太一の『異人たちとの夏』が出たのが1987年12月ということなので、買ってきてすぐに読んで取り入れたということなのだろうか。それとも山田太一は英語で読んだのかなあ。あまりそんな雰囲気がないけれど。(そんな雰囲気というのはあの時代で英語が堪能そうな、威張った、大橋巨泉的な雰囲気。)
「真っ白な嘘」は身の毛のよだつ話。ぞっとする。
「あるレディーの肖像」はタイトルからもっとヘンリー・ジェイムズについての話かと思ったが違った。少し名前が出てくる程度。お洒落。
火がついて燃える、の例として「ジャン・パラシュ」という名前が出てくるがなんのことか最後までわからなかった。調べてみるとJan Palach(ヤン・パラフ)のことのよう。「ことのよう」と言っても私も知らないのだが。
最後の長い、「緑したたる島」はおもしろくなくてうまく読めなかった。望まないで子供ができてしまった男女の逃げ道のない感じが嫌だった。