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西郷隆盛の「女子的生活」

2018年01月07日 23時05分38秒 | テレビ
今年はNHKの大河ドラマを見ることに決めている。
西郷隆盛の何がすごいのか、司馬遼太郎の本を読んでもいつも理解できないので、ちょっとテレビドラマを見てみたいと思う。
今年はテレビドラマはこれだけ見ようと思っていたのだが、志尊淳主演の『女子的生活』というドラマが気になったので初回の放送を見た。
女装をする男性が主人公のドラマで(しかも役者も男性が女装する)、NHKは攻めるなあと思って見てみる。
もう少しトランスジェンダーの悲しみのようなものを深く描くのかと思っていたが、初回はそんなにまで踏み込まなかったように思う。このくらいの感じならば最後まで見る必要はないかもしれない。

『西郷どん』は、大河ドラマの初回はいつも子役の活躍が中心なので、あまりおもしろくはない。
司馬遼太郎の小説を読んだ限りでは、島津斉彬は西郷隆盛と大久保利通にいいように使われて倒幕を突き進んでいってしまった印象なので、あまり賢いというイメージはないのだが、渡辺謙が演じているので凄いぞ感があった。このままずっと大物感を出しながら、騙されてしまう感じも出せたらいいと思う。大物でありかつ愚鈍というのはテレビドラマではあまり出せないように思う。
司馬遼太郎の小説では西郷隆盛がなぜ島津斉彬を尊敬しているのかきちんと描かれていなかったように思うので、そこらへんも見ていきたい。
西郷隆盛が刀が持てなくなっていたというようなことは司馬遼太郎は書いていただろうか。単に僕が読み飛ばしていただけかもしれないが、初耳だった。
西郷隆盛が女装して女性の気持ちを理解しようとしたということも司馬遼太郎には書かれていなかったがこれは嘘だろう。

(2018.1.11追記)
島津斉彬と島津久光をごっちゃにしていることに気付く。
ドラマを見ておさらいしたい。
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角田光代『今日も一日きみを見てた』

2018年01月07日 12時41分40秒 | 文学
角田光代『今日も一日きみを見てた』(角川書店)を図書館で借りて読んだ。
年末年始のテレビで(年末だったか年始だったか忘れた)、角田光代の飼い猫の番組の再放送がやっていて、あんまり見なかったのだが、見た妻が「角田光代がテレビで、飼う前は猫は概念で、スズメといっしょだか、ツバメといっしょだかと言っていた」と言っていて興味を持って、この本を読んだ。
猫を飼ったことも、飼う気もないが、比喩として猫=子どもとして読んだ。
私も自分の娘(五歳)が好きだが、娘の写真をたくさん載せて、娘がこんなにかわいいのだという本をもしも出したら、気持ち悪がられるだろうなと感じた。
そして角田光代が最後に猫に対して「うちにきてくれてありがとう」と書いていたが、娘に対してそれをよく思う。
猫というのはどんなにかわいがって、それを世間に表明しても、自分の子どもほどは気持ち悪がられないものなのだ。
それは猫が小さくて、人間よりも生きるのが短いからなのだろうとなんとなく考える。自分の人生の中に包括できるものにたいしては、自分の人生を超えていくものとたぶん扱いが異なる。

「香箱を組む」という言葉がなんども出てくるが、猫特有の座り方のようだ。猫用語についても書かれていたが、この言葉については猫用語と思っていないのか、説明がないままに使われていた。
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