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「父である」ことと「父をする」こと

2012年04月23日 21時22分01秒 | 育児
4月19日(木)
娘の卵巣が膨れているので妻とは別の病院に入院し、検査することになる。
もともとお腹の中にいるときから、エコーでなにかあるということは分かっていたのだが、膀胱なのか卵巣なのかわからないでいて、出産してから検査ということになっていた。
こちらとしてもある程度心の準備はしていたものの、もっとしばらく様子を見てからだと思っていたし、別の病院に搬送される様子が、赤ちゃん専用の入れ物に入って救急車で連れて行かれ、ものものしく、また連れて行かれる時に他の見舞客などが振り返って話したりしていて、「うちの子は病気なのだ」と思い、非常に切ない気持ちになる。
しばらく経って、外出許可をもらった妻と二人で娘の入院先の病院に車で移動し、医師の説明を受ける。医師はきちんと説明してくれる人で、こちらの不安もだいぶ取り除かれる。
病状の説明だけでなく、入院の説明や面会の説明などもありくたくたになる。
帰る前に娘に会って帰る。非常に元気そう。
妻の入院している病院に戻り、コンビニで買った弁当を食べ、そのあと家に帰り娘の出生届や入院手続きの書類などを書く。まだ生まれて二日しか経っていないのだな、と思う。

4月20日(金)
娘の入院手続きやら面会やらで今日も会社を休む。
午前中に出生届を役所に出しに行く。
娘の名前は妻が妊娠中に夢の中で「○○ちゃん」と呼んでいたということから、その名前に漢字をあてて付けた。
娘の名前をなんどか書いたがまだ緊張する。私の名前や妻の名前を書いてはいけない、と思い力が入る。これで名実ともにうちの子になったのだなと思う。児童手当の手続きもする。
午後からは妻を連れて娘に面会。検査のための麻酔で眠っている。「かわいそうに。薬を飲まされたんだね、クラリス」という『ルパン三世 カリオストロの城』の台詞を思い出す。(嘘。いま書きながらの思いつきです)
手術の時の麻酔の説明を受ける。人工呼吸器を付けることについてわりと念入りに説明される。人工呼吸器を付けている姿を見ると悲しくなる親が多くいるのだろうな、と思う。昨日も思ったが、小児科の先生は親の気持ちをよく汲んでくれる。娘の名前について、呼びやすくてかわいい良い名前だと言われる。お世辞だと思っても嬉しい。
娘が目覚めて泣きだしたので、妻は母乳をあげたり(まだ出ないが)、ミルクをあげたりする。かなり練習が必要だ。妻が、自分の入院している病院とやりかたがいろいろ違うと言う。そうだ、みんないろいろな考えでいろいろ言うのだ、正解があるわけではない。お前も好きなようにやれ、と思う。
娘については、世話をほとんどすべてこの病院のスタッフに任せることになる。しかし考えてみれば、子育てというのは、すべて親の思い通りにはならないものかもしれないと思う。自分の所有物で自分の思いで作り上げようと思っていると他人の手が入ったときに複雑な思いになるが、私の管理ではあるが解放されている、というくらいに思っておいた方が良いと思う。ブログをやり始めたときにコメントやトラックバックについて、気に入らないものがあるといちいち削除するひともいるがあまりそういうことをすまいと思った。そのときの思いに似ている。「私のもの」という思いをあまりに強く持ちすぎるのはよくない。
うちの子がいちばんかわいいね、と妻が言い「そのとおり」と思う。

4月21日(土)
今日も妻の病院に行き、そのあと娘の病院で面会。
出産からあと、毎朝5時とか6時とかに目覚めるようになっていたが、気分もだいぶ落ち着いたのか普通に眠れるようになる。
テニススクールは休む。
娘を抱いていると、ぶりぶりっとうんちをする。私としては初めての排便遭遇。
おむつを脱がすと、マスタードのようなうんちをしている。感動。
看護師に手伝ってもらいながら妻がおむつの脱ぎ着をさせる。
妻が母乳をあげる練習をしたり、私がミルクをあげたりして過ごす。泣きだすとすごく力強く、「よしよし元気だ」などという優雅な気分ではいられず、「これはたいへんだ」という気分になる。
背中をさすってげっぷをさせることができない。首がゆらゆらして恐ろしい。いろいろと難しい。
いまは病院でそばに看護師がいて困ったら教えてくれたりやってくれたりするが、手術が終わってしばらく経って退院してきたらこれはたいへんだ。
家に帰って丸山真男の「「である」ことと「する」こと」を読む。父になるというのは子どもが生まれたからそのまま父であるわけではなく、父としての行為をしていくことで父になるのだろうな、ということを考えながら読む。娘が生まれて父親になった実感は、あるようで、まだないような、流動的な気分。

4月22日(日)
今日も妻と二人で娘に面会。
ミルクをあげたり、あやしたりして過ごす。
背中をとんとん叩いてさすってげっぷをさせることが初めてできた。
うれしい。
とてもうるさく泣いたり、なにかが気に入らないと絶対にミルクを飲まなくなったりして、我が強くて頑固な子だと思い、なんだかすこしうれしい。やはりこのくらいじゃないと。
さんざん苦労して予定の量のミルクを飲ませることができた。
帰る直前になって、ぶりぶりっとうんちをする。

4月23日(月)
午前に妻が退院。
そのあと娘の病院へ行く。今日は手術なので点滴を打たれ、動かないように身体をタオルでぐるぐる巻きにされている。怪我をした試合後のボクサーかアメフト選手のような感じになっている。
見ていると泣きだす。手術なので、朝ミルクをもらったあとに何も食べていないのでお腹がすいているのだそう。
触らないでいたのだが、抱っこして良いそうなので妻が抱っこする。泣きやんだりまた泣き出したりを繰り返して手術までの時間を過ごす。泣き続けるので、妻が「駄目だねえ」と言っていると看護師に、駄目って思ったら赤ちゃんも駄目って思う、大丈夫と思わないといけない、と言われる。これはすばらしい。子育てというのは心を鍛えられるものだな、と感心する。心の状態を比喩としてとらえるときに、抱っこした赤ん坊のようなものだととらえると分かりやすいと思う。自分の心を上手に扱うには、上手に安心に導いてあげる必要がある。
13時に娘が手術室に行く。
ご飯を食べたり待合室で本を読んだり妻と話したりして過ごす。
16時前に手術が終わり帰ってくる。両手をあげて眠っている。
そのあと医者から手術の説明。iPadで写真を見せられながらの説明を受ける。へそを切って、水の入った風船のような卵巣から切って水を出し、卵巣を縫い合わせたことが写真を見てよく分かった。卵巣がお腹の四分の一くらいの大きさに膨れていたのでさぞかし腹が膨れている感じだったろう。これからはお腹いっぱいミルクを飲んでください、と思う。
卵巣を切除することなく、保育器のなかで顔色もよくぐっすり眠っているのを見て、ほっとする。
一週間から十日ほどで退院できるらしい。
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