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☆クリント・イーストウッド監督「ブラッド・ワーク」感想

2009年05月24日 23時36分10秒 | 映画
冷蔵庫に残っていたサラミをそろそろ食べないといけないので、コンビニで酒を買ってきて昼間から飲む。あまり家で酒を飲むことはないのでこのようなことはめったにない。
そのあと昼寝。

NHKの大河ドラマ「天地人」は先々週の、本能寺の変あたりから面白くなったように思う。
石田三成(小栗旬)はなかなか他人に心が開けない。
最近、他人にうまく心を開けるということが生きていく上でもっとも大切なことなんじゃないかと思っている。
小栗旬のことを藤原竜也だと思っている人が大河ドラマ視聴者のなかにはかなりの数でいるのではないかと思う。

ブラッド・ワーク 特別版クリント・イーストウッドの「ブラッド・ワーク」をかなり以前に録画していたので見た。
特に何ということもない、普通のサスペンス映画だった。
もっと「グラン・トリノ」っぽいものを期待したのだが、期待外れ。
しかし退屈することのない映画ではあった。
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☆ハンナ・アレントのソクラテス

2009年05月24日 00時46分12秒 | 文学
ハンナ・アレント「政治の約束」(筑摩書房)を図書館で借りて読んでいる。
「第一章 ソクラテス」を読んだ。
「責任と判断」という同じような装丁の本でもソクラテスについては書かれていて、そのときも思ったのだが、ハンナ・アレントはソクラテスとプラトンを明確に分けて考えている。
ソクラテスは真理を意識してなくて、プラトンは真理を意識した考えをしている、らしい。
ものを考えるときに本当はこうすべきだけれど、実際はそうはいかないからこうするのが現実的かな、という考え方はよくするのだけれど、そのときの「本当はこうすべき」というのが真理で、そういう考え方をソクラテスはしなかった。答えを持って、対話に臨むことをしなかった。
最終的な答えを知っている(と思う)ことで、現実的な政治に意見ができなくなる、距離を置いて自分とは関係ないものとしてしまう、ということがプラトン以降の哲学者に起こった、というような話だった。
ものごとには真理が存在していて、わたしたちのすべきなのはそこにできるだけ近づくこと、という考え方をしないで、現実から出発して考えていくことは大切なことだと思う。
小熊英二の「<民主>と<愛国>」(新曜社)を読んだ時に、江藤淳の考えがものすごく、個人的な生い立ちに由来する、彼本人の偏見に満ちたものだったという印象を持った。で、あとから見てみればどのようなひとの考えも個人的なところからしか出発出来てなくてある程度そこに留まってしまっているという印象を受けるのだが、結局そうしかできないし、そうすべきなんだろう。

最近あまり小説を読んでいなかったのだけれど、村上春樹を読んでとてもおもしろく、小説の読み方というものがやっとなんとなく理解できそうな気がしているので、しばらく読んでみようと思っている。
いまのところ、カミュとサルトル、それとフラナリー・オコナーを読もうと思っている。
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