ダブログ宣言!

ひとりでするのがブログなら、
ふたりでするのがダブログ。

☆夏目漱石「虞美人草」感想

2007年08月25日 22時51分37秒 | 文学
虞美人草夏目漱石の「虞美人草」を読んだ。
NHKの番組のおかげであらすじがしっかり頭に入っていたので、内容はよくわかった。
はじめ、流れの急な川を途中にある石をぴょんぴょんと跳びながら渡るように、会話文がくるとほっと一息つき、地の文章はなんて読みにくいんだと思いつつ読んでいたが、半分くらいを過ぎたあたりでそういう印象もなくなった。
文章の読みにくさを別にすれば、物語自体はたいへんにわかりやすい。
井上孤堂先生が小野さんの代理としてやってきた浅井君を責めるあたりはとても好きな場面だ。
浅井君というチョイ役の、金の問題さえ片が付けば、なんにも問題は残らないと思っている人間が登場して、結婚問題も結局は契約の問題だけだと考えていてそのように問題解決しようとし、孤堂先生に責められる。
吉本隆明の「転向論」は、インテリたちが理論だけですべてわかったような気になっていても、結局は家族や情の問題に足をすくわれる。そういう情の問題についてまるっきり何にも解決できていない、といったような話だったと思うが、そのようなことを考えた。
小野さんは藤尾のほうに行こうとしていたのに、過去からやってきた女、小夜子に追いつかれてしまう。みんなに総出でねじ伏せられ、過去と結婚させられた形だ。
藤尾はなぜか突然死んでしまう。
藤尾の母は娘が死んだというのにみんなに反省を促され、結局反省せざるを得ない。
あんまりやりすぎでちょっとかわいそうにもなる。
解説に、正宗白鳥の「勧善懲悪だ」という批判が載っていたがそう言いたい気持ちもわかる。

しかしそういう部分もあるが、なかなかおもしろい小説だったと思う。
だらしのないところを立派な人に責められる場面がわりと出てくるので、夏目漱石の小説は好きだ。

最後の、
「此所(ここ)では喜劇ばかり流行る」
はいい言葉だと思う。

小夜子の泣く場面は「明暗」を思い出した。

朝日新聞で連載されていた小説なのだが、物語中に朝日新聞が登場した。

憮然(ブゼン)が正しく使用されていた。憮然とは「失望・落胆してどうすることもできないでいるさま」だ。決して、帰ってきた朝青龍の顔ではない。あれは仏頂面だ。
憮然はブーってした顔ではない。
しかし明らかにかなりたくさんの人が間違っているようなので、ブー顔のほうが一般的になりつつあるようにあると思う。まあそれならそれでいいんだけど。私は広辞苑に従います。しかし意味が変更されてしまうと漱石が読めなくなるな。

なんだかいろいろ言いたい小説だ。たぶん名作なんだと思う。
コメント

☆もうすこし野球

2007年08月25日 00時33分16秒 | 漫画
昨日消えてしまったのでもうすこし野球について。

ウィキペディアの「野球漫画」の項目や「野球を扱った作品一覧」の項目を読むと、自分がどれだけ野球を選択的に避けてきたかがよくわかる。
ほとんどの作品を知らない。
ざっと見て読んだことのあるのは、村上龍の「走れ!タカハシ」と高橋源一郎の「優雅で感傷的な日本野球」だけだ。(それにしても「優雅で感傷的な日本野球」が野球を扱った作品であるということが意外であった。そもそも何を扱った小説であるのかよくわからない。)
小川洋子の「博士の愛した数式」がリストに入っていないけれど、映画で見た限りでは野球を扱っているように思う。江夏の背番号はこの映画によって知った。完全数28。
有名な、あさのあつこの「バッテリー」は中学ということで惹かれない。僕が読みたいのは甲子園なんだ。

漫画はまるっきり読んでいない。
中学生のころに夕方家に帰ってテレビで再放送されていた「ドカベン」をかなり熱中して見ていた記憶はある。殿馬の「秘打・白鳥の湖」や「秘打・G線上のありゃ」はよく憶えている。殿馬がピアノのために手術して手の指と指のあいだを切って広げたことも強烈に憶えている。ピアノをするひとはたいへんだな、と素直に思った。

江夏の背番号が気になったり、松任谷由実の「まぶしい草野球」をほとんど毎日聴いていたり、いろんなひとがいろんな場所で語る「川上哲治」なる人物がなぜかとても気になったり(僕の中で「カワカミテツハル」はもはや伝説と化している。「ヤマタノヲロチ」や「スサノヲ」や「ハラセツコ」などと変わらない)、最近すこしずつその傾向はあったのだが、今回の高校野球が決定打となった。
まさにツーアウト満塁のピッチャーゴロでバッターアウトの7回裏コールドといった感じ。(まだまだ未熟な野球知識。すべてを野球で喩えられるひとに、私はなりたい。)
この野球熱はまだまだ(あと3日くらい?)は続く。

で、肝心の野球漫画。
やはり、あだち充あたりを読んでみるのが無難かな、と。
この間「タッチ」の映画も見たし。
「エースをねらえ!」によって宗方仁の教えを受けた人間としては、消えたり燃えたりの魔球が登場するものは読めないし。
コメント