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「由井晶子先輩」②“オペラ演出家・故粟国安彦をめぐり”

2011年09月28日 | 「美ら島沖縄大使」便り

                    

                 (演出活動全盛時代の粟国君)

 大学卒業を控えた就職活動の一環として、県出身同期に誘われ由井先輩の勤める「沖縄タイムス」紙のライバルの「琉球新報」を受験入社、東京総局配属記者として採用された私は、由井先輩としばしば取材現場で合間見えました。と言っても駆け出しの私に対し、由井さんは既に支社デスクを勤めるベテラン記者。

 この時、私の勤める「琉球新報」東京総局の上司には由井さんと同じ早大同窓新聞学科卒の嶋袋浩デスク。沖縄の日本復帰の直前のこの頃、県内両ライバル紙の東京駐在員としての取材合戦だけでなく、「世界」や「中央公論」等の中央総合誌論壇でも健筆を振るい合う両先輩は後輩の私達から見て、到底越えることの出来ない在京沖縄代表ジャーナリストの双璧でした。この後両先輩は、それぞれ共に本社編集局長に就任、鍔迫り合い活躍します。

 その後、私は新報社を退社、紆余曲折、立上げたIT企業社長就任の10年後、49歳で夭折した幼友のオペラ演出家・粟国安彦の告別式で“沖縄友人代表”として弔辞役を引き受けることになり、たまたま、この葬儀に立会い、取材したのが10数年振りにお会いした「沖縄タイムス」東京支社の由井さんでした。

 粟国君とは小中学同期で自宅も隣で私が琉大中退し上京し転がり込んだのが中野区新山通りの彼の四畳半下宿で、以後2年以上同居することになります。当時、彼は東京声楽専門学校(後の昭和音大)に在学中で、卒業後は藤原歌劇団に入りその後、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院に留学、オペラ演出科を首席で卒業、帰日後は当時の藤原歌劇団や二期会の数々オペラ公演を演出し、好評を博し、ウィンナーワールド賞や芸術選奨文部大臣新人賞等を受賞し、わが国有数のオペラ演出家としての地位を築きます。

         

        (駈出し記者時代~議員会館食堂で安里議員と)

                      

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1 コメント

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毎回楽しみにしています。 (国吉多美子)
2011-10-04 11:44:40
 世の中、同時進行で同じ体験をしていることが多いことにきずかされます。
 由井昌子さん、嶋袋浩さん、粟国安彦さん、東京で大変交流があり、またお世話になりました。由井さんに頼まれ、彼女の最初の海外視察でフィリッピンに同行し沖縄県人会を訪問しました。また、沖縄女性の会の立ち上げにも一緒にしました。嶋袋さんには私の知的好奇心を多いに刺激され、また、いろいろ教わりました。 岩波に書いた著書をいただきました。当時彼は「ふくぎせん」というペンネームで書いていましたね。また、嶋袋さんの奥さんがオペラ歌手だったので、彼に連れられよく粟国さん演出のオペラを見に行きました。また、粟国さんが私の新宿の家の飲み会にいらしたこともあります。
 重田さんの今回のブログから、若かりし頃の懐かしい思い出が蘇りました。重田様と同時体験をしていたことがいろいろあるんですね。
 こう考えると、重田様と出会うのも必然だったのかなと思います。重田様の行動力も感嘆です。

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