”朝吼夕嘆・晴走雨読”

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故親泊那覇市長から祝福受ける! 

2007年05月15日 | 「マラソン挑戦」
 ’93年12月、私はフルマラソン初完走?
ゴール地点の貴賓席には主催者の一人である故親泊市長がいらっした。市長が上京の節は当時島袋絹子さん経営の赤坂のスナック「那覇」で良くご一緒した縁から”よー!重田さん、おめでとう!”握手、祝福されたスナップも忘れえぬ思い出。
 
 ゴールのトラックに入った時は小石につまずくだけで倒れそうなほど疲労困憊していた。ゴールインのときには下半身がクラゲになったような感じで思わず座り込みたくなったのを必死で耐えた。ゴールサポートの高校生がそんな私を見兼ねたか「大丈夫ですか」と心配そうに私の顔をのぞき込んだ。この時は涙が出そうになった。「本当にありがとう」という気持ちだったが、その時は疲れでこのお礼の言葉が出なかった。それをいまでも後悔している。那覇マラソンは結局このような多くの善意の人々の奉仕と支えで成り立っているのだと思う。私の生涯初のフルマラソン完走は終わった。感激で涙が出るかと予想したが、実際はヤレヤレという気持ちだった。
                     
 先着した高橋君は私がゴールしても六時間ぎりぎりと予想して三時頃ゴール地点に迎えに行ったが、私の姿が見えず、「社長今年も駄目だったか」と思ったらしい。制限時間30分まえの私の完走は予想外だったらしい。知らないというのは恐ろしい。昨年のスタート前は完走の気分で42キロを多少たかをくっていた。今回は冒頭にも書いたが、むしろ不安だった。昨年の途中リタイヤの挫折で怖さを知り謙虚になったのだ。      
 昨年の強制リタイヤは時の経過と共に私に悔しさと情け無さをもたらした。同時に32キロを目前に足がどうにも動かなかった苦しさは忘れられない。      
 
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