2ヶ月前、高校同期の照屋輝一琉大TLO社長が執務室で急逝した。何時もの様に出張先から帰宅、メールチェックすると自宅から徒歩で行ける琉大構内の執務室に行った夫君の何時もより遅い時間を気にした奥さんが、施錠、応答無い社長室を警備員に開けて貰ったところ、デスクで倒れている照屋君を発見したという。すぐさま救急車で病院に搬入したものの急性心不全で事切れて居たという。出張帰任の社長デスクで急逝するなどいかにも照屋君らしい壮絶な逝去振りだが、ご主人の死を淡々と語るものの最初に発見した奥さんのショックはいかばかりかと想像を越える。
実は奥さんの菊子さんも那覇高の同期。先年これ又同期の高良政勝・ミチ子ご夫妻と会食した機会があり、この日その時の思い出をひとしきり語り偲んだ。彼の急逝を聞いたのは上海滞在中だったため、遅ればせながらこの日の焼香弔問。
葬儀に出席出来なかった稲嶺沖縄県前知事もご自宅に弔問来訪されたとのこと。
ご自宅玄関には往時二十歳を迎えたお嬢さん宛の父情溢れる手紙をはじめ、居室には几帳面な故人を偲ばせる原稿ファイル、蔵書等が整然と並んでいる。
元々、我沖縄事業所がTTCに入居したのも故人がその研究開発室長を務めていた縁。その後彼は県工業技術センター長に栄進するが私が会長に退くと知るや“俺はこれからTLO社長を引き受けるというのに君はリタイヤするのか!と嘆かれた。
それにしても一月前のドックでは“異常なし”の診断を貰っていた息子の急逝に「主人も息子も揃いも揃って同じ67歳で私を置いて先に行くなんて!」というご母堂のお嘆きに言葉も出なかった。
戦死と言える同期・同年、彼の社長室での急逝が今回の私の事業継承決断を促した大きな要因であったことは否定できません。故照屋君の改めてのご冥福をお祈りします。
(実妹さん、ご母堂、ご夫人)
実は奥さんの菊子さんも那覇高の同期。先年これ又同期の高良政勝・ミチ子ご夫妻と会食した機会があり、この日その時の思い出をひとしきり語り偲んだ。彼の急逝を聞いたのは上海滞在中だったため、遅ればせながらこの日の焼香弔問。
葬儀に出席出来なかった稲嶺沖縄県前知事もご自宅に弔問来訪されたとのこと。
ご自宅玄関には往時二十歳を迎えたお嬢さん宛の父情溢れる手紙をはじめ、居室には几帳面な故人を偲ばせる原稿ファイル、蔵書等が整然と並んでいる。
元々、我沖縄事業所がTTCに入居したのも故人がその研究開発室長を務めていた縁。その後彼は県工業技術センター長に栄進するが私が会長に退くと知るや“俺はこれからTLO社長を引き受けるというのに君はリタイヤするのか!と嘆かれた。
それにしても一月前のドックでは“異常なし”の診断を貰っていた息子の急逝に「主人も息子も揃いも揃って同じ67歳で私を置いて先に行くなんて!」というご母堂のお嘆きに言葉も出なかった。
戦死と言える同期・同年、彼の社長室での急逝が今回の私の事業継承決断を促した大きな要因であったことは否定できません。故照屋君の改めてのご冥福をお祈りします。
(実妹さん、ご母堂、ご夫人)
亀谷教授にも転送しました。
これから沖縄を国際化するのに指導的な適任者でした。残念です、何らかの弔意を送りたいです。ご検討下さい。草々
会長になり、資本参加を決意し、後輩に道を託す!この決断をするのにも照屋氏の死が、大きく影響した。友は持つべきだ。友の死を契機に自らの今を考える。ヨキトモ、良い盟友!考えさせられることが、多いメールでした。
居室には几帳面な故人を偲ばせる原稿ファイル、蔵書等が整然と並んでいる。
この一文は彼の思いを思い出させる。リタイヤーして、”化学工学と沖縄の産業”と言うことで本を書きたい。自分でないと専門的な立場から書けないだろう。日本復帰後、長年沖縄の産業と付き合ってきた彼の強い気持ちを思い出した。いろいろ苦楽もしただろうし、産業界のWalking Dictionaryにとっては至極残念なことだろうと想像されてやまない。沖縄のために天国で書くことでしょう。そう祈りたい。
沖縄のシクァーサーを特産産業に発展させる話、TLOの黒字など、とうとう琉大にはおれ一人だけになったと言うメイルをもらった等々が思い出された。貴兄のメイルを読んで。沖縄にとってはおしい人材を失ったことが、残念である。合掌
思い出しますのは、私が「はなまる」というお店を開いている頃、重田さん一行がお店を利用していただき、楽しく過ごした一夜です。
数日後、照屋さんから、パソコンで綺麗に編集された写真集でした。今でも大事に保存しています。
何と気配りのある几帳面な素晴らしい方だろうと思いました。
あのような方が、お若くしたお亡くなりになられたこと、大変残念です。
ご冥福をお祈り申し上げます。
2008-02-19 23:39:41
照屋輝一さんの訃報、重田さんのブログで始めて知りました。大変悲しく思ってます。
思い出しますのは、私が「はなまる」というお店を開いている頃、重田さん一行がお店を利用していただき、楽しく過ごした一夜です。
数日後、照屋さんから、パソコンで綺麗に編集された写真集でした。今でも大事に保存しています。
何と気配りのある几帳面な素晴らしい方だろうと思いました。
あのような方が、お若くしたお亡くなりになられたこと、大変残念です。
ご冥福をお祈り申し上げます。