(2008年牧港の介護施設「ポート・ヒロック」に
95歳の山元先生と高校先輩・教師のお嬢さんを訪問)
先日、ご逝去された中学2年担任の新川初子先生を偲ぶ度に、小学校以降の恩師方々が思い浮かびます。後に校長に就任される奄美大島の古仁屋小学1年時の担任の祷義勝先生は“辰弥君!学芸会の開会挨拶をしなさい!”と言われたことだけが鮮明に覚えています。小学2年、3年の担任は林みつえ先生でしたが、毎週日曜、妹さんとお住まいの自宅に伺い、お食事を頂いた記憶があります。小学4年の時のクラス担任の森江美子先生のご自宅にもたびたび遊びにいきましたが、ある時クラス級長就任を辞退したところ激しく叱責され、以後お宅訪問が出来なくなくなりました。残念ながら古仁屋小学校時代の写真は無いのです(´Δ`;)
沖縄の安里(後の安謝)小学6年に転校した時の担任の山元芙美子先生のご自宅にも何度か行った記憶がありますが、二人のお嬢さんは何と那覇高の先輩で後に教職に着かれておられました。先生は後に沖縄県教育委員に転任され、後年、偶然県庁内のエレベーターで“重田君!”と呼ばれ驚きました。後年先生が過ごされた県内随一の介護施設「ポート・ヒロック」に沖縄出張の度に何度かお訪ねしました。実はこの施設に我社のOBが務めていました。後にこれをアップした私のBlogを見た在京の那覇高後輩に“重田さん!、私の伯母ですよ”と言われその出会いに驚きました。
安謝中2年クラス担任の比嘉先生が笑いながら「重田君は成績トップだがこれは社会、国語の合計で理数科目はそれ程では無い。本当に頭が良いのは理数系!」とクラス全員の前で言われたのが忘れられません。理科担当の比嘉先生は文系のコンプレックスがあったのでは(^○^)安謝中3年の社会科担任の仲宗根朝光先生のご自宅にも呼ばれたことがあります。傘寿を迎え、まさに”往時茫々夢の如し”です。
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