”朝吼夕嘆・晴走雨読”

「美ら島沖縄大使」「WeeklyBook&Reviews」「マラソン挑戦」

「ナハマラソンと屋良文雄君」

2009年12月09日 | 「美ら島沖縄大使」便り
 先週のナハマラソン出場の前日、市内病院で頚椎障害療養中の屋良文雄君を訪ねました。ジャズ演奏、中小経営と違った道ながら彼とは小・中・高・琉大(しかも共に中退)一緒の唯一の同期。しかも、共に10回以上出場したナハマラソン、何度か中間地点辺りで「おい!辰弥先に行くぞ!」と後ろから肩を叩かれ、追い抜かれました。
 一昨年の拙書「おきなわ就活塾」出版記念パーティで「屋良沖縄ジャズ協会長が本当にWelcomeオープニング演奏をなさるのですか」とホテル担当者が驚くのを見て、“文雄って、そんなに偉いのか”と自分の音楽音痴を思い知りました。
 今でこそ沖縄、いや全国を代表するジャズ演奏家の彼、中学時代はリレー選手でバレーボールのレギュラースポーツマンだった。私が本土大学受験勉強に汲々する琉大在学中、彼は学業そっちのけで在留米軍基地内でジャズ演奏、巨万のバイト料を稼いでいました。
 ジャズハウス「寓話」開店後はしばしば首里の自宅から店までジョギング通勤していました。治療中の今でも、時折病院から演奏に出かけているという。
 小学時代、音楽教室で一人一心にオルガンを弾いていた“この道一筋”の彼、ベットサイドを訪ねた私の顔を見るや“おう!辰弥、元気か!完走出来なくても挑戦する気合が大事だぞ!頑張れ!」と逆に励まされました。

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2 コメント

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屋良さんにはお世話になりました (下地 克信)
2009-12-10 00:34:43
重田先輩
沖縄へ行く度に、寓話へ寄りました。
私と同期の藤村君が好きな店で、藤村君の2歳年上の兄貴と屋良さんとが同期とかで。と云う事は重田先輩も藤村氏をご存知の事の筈。
寓話へ寄る時は殆ど12時を過ぎていましたが、屋良さんは懐かしそうな眼で「では少しやるか」と時間オーバーも気にせず演奏してくれました。心優しい方です。重田先輩が長年お付き合いをされている事、重々理解出来ます。年明け早々、沖縄へ行く予定ですが、それまでに屋良さんが回復されている事を節に祈願する次第です。毎回の配信、楽しみにしています。
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悲しいです。 (真志喜 卓)
2010-04-12 19:17:37
4月8日に屋良文雄さんがなくなったとの訃報に接しました。重田さんの唯一の同期とのこのブログ記事を覚えておりました。

http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-04-09_5566/

http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-04-11_5649/

JAZZピアノ弾きの端くれとして、沖縄のJAZZ界をリードされていた屋良さんを尊敬しておりました。

ご冥福をお祈りしたいと思います。
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