目に見えない力を辞書引きすると「目に見えない不思議な力のこと、目に見えない力、魔法の力、魔力、神秘の力、気、オーラ、チャクラ、神通力、霊力、超能力」など。
私は長年、人の感覚に特化した研究をして参りました。そんな中で特に「目に見えない力や不思議な出来事」など自ら体験し、それを科学的な方法で解明にも取り組んでいます。
人の感覚は「視覚優位」で外的情報を視覚に頼り、五感の内でも「80%は視覚による認識」です。
残りの20%を聴覚、触覚、嗅覚、味覚の4感で外的情報を認識し、判断します。
何故?人はこうして5つの感覚を持ち合わせているかと言うと、それは「生命維持」のため、巨大化したに脳の発達と関係しています。
人が生命維持のために「感覚が発達」したのは、迫る危険を回避するために備わった能力でもあります。「危険回避能力」という、危険な状態から回避するために、危険な場所、危険な音、臭い、味、痛みなどを感じることで人は危険を回避することで「生命を守る」ことに繋がるのです。
ところが、現代人はこの「危険回避能力」が鈍化して来ています。それは、便利な道具やハイテクな技術に依存や頼る傾向が強く、こうした感覚では人の感覚が鈍化し、同時に能力も低下します。
ましてや視覚優位の感覚となり、外的情報を普通では「視覚から80%」程度を認識し、
判断するのですが、85%以上を視覚に頼り、優位に働いていると思われます。
ですから「見たものが全てであり、視たもの以外を信じない」などの感覚になります。
この世には「目に見えない力、出来事」など実際に存在しています。
こうした出来事を一般的に「不思議な力や出来事」と呼んでいます。
皆さんが、人の目に見えないものと言うと「見える人と見えない人」といるように能力差のように違いがあります。
良く「幽霊が視える人と見えない人」との違いのように能力差で感覚が違います。一般的にはこうした能力のことを「霊感」と呼んだり、スピリチャル能力だと言われています。
では、何故?他の人には見えないのに、見えるのかは?それは感覚よりも「認識の仕方に違い」があります。
つまり、他人には見えなくて、自分だけが見えているのは「視覚で視ていないで、脳で見ている」という理論です。
例えば、幽霊は「思念体」と呼ばれ、霊体にも「波動と言うエネルギー」を持っています。
思念体は「念のエネルギー」であり、独自の波動があります。その波動をラジオの周波数のように「発信機と受信機」のようにキャッチすることが出来る人と出来ない人の差でもあります。
霊体は本来、人の視覚(目)で見えない存在です。ですから、目では見えないものだから「感じることで脳内(視覚野)」で像として視ているということです。
私の仮説ではありますが、霊体の存在が視えるのは、霊体の波動の周波数(波)のエネルギーを第6チャクラ(眉間)、此処は「第三の目」とも呼ばれています。前頭葉(額)で念のエネルギーをキャッチするように受け止めて、その刺激を脳で「認識し、判断」することで、後頭部にある「視覚野」で像として、視えるとで霊体と分かるものです。
思念体(幽霊)は、死後直後の場合は、思念エネルギーが強いので、其日に着ていた洋服や輪郭もはっきりと分かる程ですが、日時の経過と共に思念のエネルギーが弱くなるので、黒い人陰として、輪郭などは分からず、シルエットのようなもので分かります。
但し、私の場合は、私と関わり合いのある人に限られます。
また、霊感やスピリチャル能力が高いからと、見えるとは限りません。能力差のように声のように聞こえたり、気配を感じたりする人と個人差のように違います。
私の場合は、声などは聞こえずに、気配を感じたりする。時には夜とは限らず昼など何時、現れるか分かりません。
但し、多くの人たちは「目に見えない存在」などを信じ難く、否定的です。
それは、自身が見たものだけを信じるという「概念が強い人ほど」疑い、信じません。
つまり、人の「感覚心理」が強く働くからです。
私は人の感覚に特化し、長年、感覚の研究をして来ました。だからこそ、この世には「科学では説明も解明も出来ないこと、存在、出来事」があるのです。
センスプロデュース研究所、葛西行彦