一期一会の意味は、一期一会の意味は 一生に一度だけの機会や出逢いのこと
一生に一度限りであることとなります。 意味からも分かるように「一期」は「一生」のこと、「一会」は「一度の機会、出逢い」のことです。
※「一期一会」の由来は「茶道」であり、元々は千利休の言葉「一期一会」は茶道に由来しています。
その語源は「どの茶会でもその機会は二度と繰り返されることがなく、生涯に一度しか出逢えないのであると心得て、主客ともに誠意を尽くすべきである」という心構えを説いた言葉です。
それが「一生に一度だけの機会」そのものを指す言葉として用いられるようになりました。
元々は、千利休の言葉とされています。
千利休自身は自著を残していませんが弟子の山上宗二の「山上宗二記」に千利休が言ったとされる「一期に一度の会」と記されており、それが派生して「一期一会」となりました。
その「一期一会」にはもう二度と会えないかもしれない人との出逢いを言っていた訳ではありません。
千利休が説いていたのは、もう一度同じ人と茶会をするとしても前回の茶会と今回の茶会は違うものでその一つ一つが「一期一会」であり大切にするといった意味でした。
ちなみに「一期」は仏教語であり、今で言う「一生」のことを指します。
その後、井伊直弼が「茶湯一会集」で茶道の一番の心得として「一期一会」だと用いたことから一般的にも使われるようになりました。
私はこの「一期一会の出逢い」を13年前にソウル繫がりから出逢いました。
普通であれば、異性との出逢いや運命的出逢いなどのことを「一期一会」の出逢いと言うことが多いものですが、私の場合は普通では中々考えられない「不思議な一期一会」の出逢いをしました。
その出逢いは13年前に事故現場の同時刻に私の「正夢の中」に現れて、メッセージを贈られ、事故死の現場に立ち会うように見守っていました。
その方の魂が私の魂を探し求めていました。
私が丁度50歳の時に人生一度きりの「宿命的出逢い」だったことを後にソウル繫がりした方から「私たちは前世から定まった(人)だった」ことを教えて呉れたものです。
魂の片割れ同士が出逢うツインソウル(双子の魂)の繫がりでした。十数年前にソウル繫がりしたから「霊的覚醒」に目覚めたように活性化し、霊感もスピリチャル能力も開花したように鋭くなりました。
そうした「超感覚」からそのような普通では考えられない出逢いをしているのだと思います。
いくら理論や科学的根拠で説明しても「体験が無い人たちには理解不可能」なことでもあります。そんな一期一会の出逢いなって有り得ないとか、お前は妻子が居るくせに、そんな女性と一期一会の出逢いをするなんておかしい、それは単なる浮気だと否定されたり、中傷されることもしばしばあります。
中々皆さんには理解し難い出逢いでも、この世には「目に見えないもの科学では説明の出来ないことが多々あるということなのです」。
ツインソウル相手も「自身の魂の片割れ」だから離れ離れになっても、忘れることも別れるなんてことも出来ない関係になるものです。
但し、私のように宿命的な出逢いの一期一会の繫がり合いを持つことは「自身から望んでも、願っても出逢える」ものではありません。
現に私はこれらの出逢いに一切、願ったり、望んだりしたことはありません。寝て居て!目覚めたら出逢っていた!繋がったという感覚なのです。
それだけにソウル繫がりから一期一会の関係の人と出逢えることは希薄であり、それこそ「二度と出逢えない」まさしく一期一会の出逢いをした人は幸せなのだと思います。
センス、プロデュース研究所、荒木行彦