人助けの本来の意味は、危険や死から逃れ避ける、救う。
苦しみや困っている人や忙しい人に対して、手伝う、働きに対して力を貸し、不足を補って上手く行くようにするなどです。
こうして、言葉で説明することは簡単なことです。但し、実際に人助けなどしようとすると様々な弊害や人間関係の複雑さから助けたつもりが仇になることもあります。
つまり、大きなお節介だと思われたり、下心があると思われたりして思い遣りが仇になることも私自身で体験して来ました。
人助けを目的に職業に従事している人たちは沢山おられます。
医療関係者、救急隊員、救助隊員などがそうであるように、人の命を護るべく人助けに貢献している人たちがおられます。
最近、夏山登山で遭難する人たちも多くなっております。特に登山ツアーなどに参加した人たちが高山病や低体温症になり、意識を失くす緊急事態もあります。そんな時には山岳救助隊がヘリコプターで救助に当たりますが、幾ら訓練された人たちでも、高山での救助の難しさは、平地での救助の類ではありません。私自身も救助に参加したことがあるので、その危険性と難しさは分かります。
他にも、水害救助も同様に難しい救助です。時間との闘いでもあります。濁流に流されそうな民家の屋根に逃れた人たちを救助する、それも一人や二人ではない場合が多いのです。助ける人の優先順位や状況の判断を誤ると救える人たちを救えなくなることがあるのです。
こうした危機的な状態の人助けだけではなく、私たちの身の回りには様々な人たちが助けを求めています。急病になった人や事故で大けがをした人など様々です。何も、精神的な苦痛から逃れたいと助けを求める人たちもおられます。
最近、多くなっているのが「人間関係」に悩んで、私に助けを求めて来る人たちが多くなりました。
私は若き頃から救急救命士の資格もあることから、けが人や病で倒れた人たちや危険な場所で遭難した人たちまで救助した経験があります。
不思議なことに、私の目の前で倒れたり、具合が悪くなったり、階段から転落して目の前に倒れる人たちなどに遭遇することが多いものです。
また、通勤電車ないでも、フラフラしている女性の状態が視ただけで判断できる。状態が分かったりするのは、医師でも判断しにくいことを私は感じ取ることが出来ます。
昨年の夏ごろに、帰宅途中で地元の駅構内で蹲っている親子が目の前におられました。誰一人と声を掛けません。見て見ぬふりしています。
そこで、私は直に分かり、若い女性(娘さん)がお腹を押さえていたので、生理痛だと分かり、側にいた母親に「もしや女の子の日の痛み」ではと告げると、何故分かったんですかと、若い女性が下腹部を抑えているのは生理痛からの貧血状態で歩けないでいると告げると、そうなんです!二日目で、薬を呑んでも痛みは止まらないんですと心配そうでした。
そこで、私は、此処でしゃがみ込んでも駄目だから、椅子に座らせ、直ぐに自動販売機からポカリスェットを購入し、点滴代わりに飲んで貰い、腰の辺りを触るからねとお断りし、私のレイキで温めながら、摩って上げました。
そうすると、5分もしない内に、顔色が青ざめていたのが赤みを帯びて来たので、もう痛みはないですよねと若い女性に言うと、驚いたように「もう痛くありません」と言われ、笑顔で帰って行きました。
他にも、ケガをした人や線路に転落した人などを救助したことも幾度もあり、今までに感謝状を授与したいと言われたことが三度ほどありましたが、全てお断りしました。私には当たり前なことであり、数え切れないほど程あるので要りませんとお断りしました。
こうした、病気やケガ人、危機的な状態の人たちの救助、人助けは難しいことの方が少ないのですが、精神的な苦痛や不安などから助け出すこと!人助けほど難しいことはありません。
私の人助け貢献が仇になったことも多々あるので、私的には精神的苦痛から救い出して欲しいと、依頼された人、藁を縋る想いで私に「助けて欲しい」と頼まれた人にしか、手を差し伸べないようにしています。私は神様でも、スーパーマンでもありません。普通のオヤジで、たまたま、人助けの件数や人助け貢献が人一倍多いものです。
中には、私の噂を聞いて、知り合いの方に助けて欲しいと頼まれたから、荒木さんにお願いしますなど多くなりました。それはネット社会の現代の歪みのように思えるものもあります。人助け貢献が私の仕事ではなく、使命として活動しているだけでけなく、救えることは限られています。
本当に困っている。奇跡を信じて、奇跡を起こして呉れる人を頼ってくれる。そういう人たちしか私は助けられません。
たまたま、人助けの実績、動物たちの保護やストーカーを女性から護る「ストーカー規制法」の制定依頼などもしたこともあります。
ただ、人助けをするのが目的ではなく、「人の命を守り」時には亡くなった人たちも来世に迷わぬように導いて、見送るお役目も担っています。
これも亡くなった人たちのご供養と人助けになっているものです。そのために私に「特殊な能力(超感覚)」が身に付いたので、こうして大勢の人たちを助けて、救って参りました。
但し、私のことを信じて、私に助けを求めて来た人のことは拒みませんが、邪心や下心から私の能力に肖りたいとか利用するなどの人たちは、私は見抜く能力に優れています。直ぐに分かります。そんな人たちには一切の関わり合いもしません。お断りいたします。
センスプロデュース研究所、荒木行彦