センスプロデュース研究所!

ヒトの五感と脳の関係、ヒトの五感の重要性の提唱、研究を行っている者です。

太宰治の散歩道を探索する!

2009-06-23 00:00:02 | 感覚
先週19日(金)に太宰治の生誕100年になる。
太宰治(津島修治)は、1909年(明治42年)6月19日、青森県北津軽郡金木町(現在の青森県五所川原市、旧北津軽郡金木町)に、県下有数の大地主である津島源右衛門(1871-1923)、タ子(たね)(1873-1942)の6男・津島修治として生まれた。二人の間には11人の子供がおり、10番目であった(但し、太宰が生まれた時点ですでに長兄・次兄は他界)。父・源右衛門は木造村の豪農松木家からの婿養子で県会議員、衆議院議員、多額納税による貴族院議員等をつとめた地元の名士である。
私の生家も五所川原市であり、私の祖父が太宰治と幼なじみということもあり、また、遠い親戚にもなります関係から、私が幼い頃、よく祖父から「しゅんちゃん」と呼ばれていたらしく、本ばかり読んでいたと聞かされた思い出がある。
我が家の祖父は貧乏な農家の生まれなので、本は勿論買って貰えず、当時は洋服ではなく、着物、それもボロボロの着物を着ていた時に、しゅんちゃんは洋服やきれいな着物を着ていたと当時を振り返って語ってくれた。
私の祖父は20数年前に他界しているが、生きていれば太宰治とも年齢が近いのです。
私の実家から現在の斜陽館は車で15分程度のところにあります。今年は生誕100年ということで、旧金木町、現五所川原市には大勢の太宰治ファンが見学に来ているようです。
これらの関係から、私は太宰治の生き方が嫌いで許せなかった。太宰治ファンには申し訳ないが、飲んだくれで、薬物中毒、不倫に自殺と波瀾万丈な生き方が嫌いだったのです。私は小学生の頃から太宰の作品は半強制的に読まされ、子ども心にショックだった思い出がある。根暗な文書と感じたのです。
ところが、私も50歳を過ぎ、最近太宰の小説を読み、理解することが出来たのです。
また、私の祖父の幼なじみの太宰治の痕跡を追いかけたくなり、本日22(月)の朝から船橋界隈の神社、太宰治が薬物中毒の保養に船橋市に住まいを構えたのです。
船橋は太宰治が、昭和10年7月から11年10月まで住んでいた町である。
薬物中毒に苦しんでいた時代。
最初の著作『晩年』も、船橋にいた昭和11年6月に出版している。
最初、船橋駅で下車し、現公民館広場前に太宰治の旧居跡の太宰治文学碑と夾竹桃、太宰が植えた言われる夾竹桃がある。
そこから、徒歩で西船橋の八坂神社、船橋三峰神社、東照宮、御蔵稲荷神社と回る。御蔵稲荷神社では、庭を掃除していた神主さんに太宰治の話を聞くことが出来たのである。60歳を過ぎたその神主さんは、父から太宰治が散歩によく現れたと聞いたことがあると語ってくれた。
私が会話中にも夫婦が観光マップを片手にやはり、太宰治の散歩コース、神社を回っていると話してくれた。
私は遠い親戚であると伝えると、親近感を感じますと言われた。
本当に太宰治のファンは年齢も幅広く、多くの人たちから愛されているのだと実感致しました。
私は、この散歩コースを歩きながら、当時の太宰の思いや考え方の一部でも理解することが出来、この歳になって太宰治という一人の男性を許せるようになったのです。
子どもの頃は、あんな大人になりたくないと、悪者の代表者のように考えていた太宰治を今は自分に似たようなところがあると実感し、好感を持てるようになったのです。
これから、彼の作品をゆっくりといつもは速読法で早く読んでいるが、太宰治という私のふるさとの有名作家の作品を私の人生に重ねて読みたいものである。 太宰治をあまり知らない世代、若い人たちにも愛読されているようですが、高校生や若者たちにも是非、太宰作品を読んで頂ければ同感出来るところがあるはずです。そして励まされることを実感出来たら幸いです。


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