ワーナー・ビショフ写真展

2009-04-17 00:00:34 | 美術館・博物館・工芸品
wb1東京・九段下にある昭和館で、スイス出身の写真家、ワーナー・ビショフが撮影した占領下の日本の写真60点が公開されている。
ビショフは1951年(昭和26年)に来日し、朝鮮戦争取材のため朝鮮半島へ渡航した前後約10カ月間に、占領下の日本国民の暮らしを撮影。朝鮮半島では戦場写真を、そして日本では廃墟から民衆が再興する姿を写す。
その後、彼は、アンデス山中でジープ走行中に崖から転落し、谷底で絶命する。
写真展は、没後に刊行された写真集『Japon』掲載の作品のほか、滞在中に撮影した未公開写真、愛用したカメラなどである。

マグナムグループの一員である。

写した時代1951年は、サンフランシスコ平和条約の締結の年。有効となるのが翌年であるので、占領下であるようなないような中間的な年だったはずだ。

この時代の日本を写した写真家は多数いるのだが、そこはスイス人である。日本人が写さないような「影」の部分を遠慮なく撮る。

原爆ドームの前で、ケロイド状の背中を見せる被爆者。NOOD劇場出演準備中のダンサー、街角でアコーディオンを弾く傷痍軍人。天皇陛下の列車の到着を迎えるこどもたち。米国大衆文化に傾く若い女性たち。そして、社会主義にのめりこむ男子学生。

wb1展示作の中には二人のモデルが登場する。

一人は、イイヌマ・ミチコさん。浦和に住んでいて、裁判官の娘で、杉野ドレメの生徒。休日には、お化粧をして、銀座のデパートに行く。本名、飯沼道子さん。

もう一人は、スマ・ゴロー君。京都の大学生で、学生集会によく参加。部屋は汚い。
本名は、成田洋一さんといって、京都大学文学部の学生だった。

この二人、1951年に20歳台初めとするなら、現在は70歳台後半。男性の平均寿命と同じ位である。現在、どこで、どうされているのか、昭和館で調査しても、わからなかったそうである。あるいは、わかっても、現在のその方々の状況から、過去をさらしたくないという事情があるのかもしれない。

wb1まあ、変な詮索はやめて、戦後日本の復興と、先人の努力、そして、不幸な写真家のことを、じっと思えばいいのだろう。


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2 コメント

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Unknown (じゅん)
2016-11-05 22:24:15
びっくりしました❗叔母です😅
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Unknown (おおた葉一郎)
2016-11-05 22:24:44
じゅんさん、
なんと。
昭和館に問い合わせていただくと、この展示会の時の資料集(写真集)があるのではないかと思います。
ぜひ、
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